2008.4.30

2008 SLOW TRIP Vol.011 「 岩手 秋田 青森 : THREE PREFECTURES 」

2008年 SLOW TRIP 母姉妹と春の東北旅行編 #08

2008年4月17日(木曜日)

初日の宿、岩手県花巻市の大沢温泉の中でも一番奥にある「菊水館」

おちつく宿と湯ですっかり身体が軽くなった

さぁ今日も朝から出かけましょう

朝食を頂いてすぐにチェックアウトして車に乗った


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KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.011"

2008.4.29

SLOW TRIP  SHORT SHORT「 THIS YEAR'S FROG 」

気持ち良く晴れていたのでカメラを持って車に乗った

ショップでチキンサンドを買っていつもの滝のベンチで食べた

今日は農家の人たちの田んぼに水を引く日だったのかな

さっそく今年生まれのカエルたちが歌ってる

ちょっと田んぼに近づいただけでたくさん姿を見せてくれた

農家の人が僕に話しかける

カエルの卵の固まりを見せてくれる

このカエルの卵の固まりはほとんどタヌキやイタチに食べられるって。

その生き残った5%ばかしが今

グァーグァー歌ってる

毎年変わらないここの景色に変わらない歌聴かせてくれる



KENICHI KIKUCHI "SLOW TRIP SHORT SHORT  This Year's Frog"

2008.4.28

2008 SLOW TRIP Vol.09 「 猊鼻渓 : THE RAVINE」

2008年 SLOW TRIP 母姉妹と春の東北旅行編 #07

2008年4月16日(月曜日) #3

達谷窟毘沙門堂を後にした僕らは次の目的地である岩手県一関市東山町の東部へ向かった

正午に差し掛かろうとしたとき

車に表示される外気温を見ると25.5度。

暑い。

エアコンが全く効かない、コンプレッサー回っていない

おまけに昨日まで聴けていたカーナビのiPodが認識されない

早くもアルファロメオの洗礼を受けているのか

まぁ走りに関係ないものが使えないくらいじゃ全然へこたれないさ




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KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.010"

2008.4.27

2008 SLOW TRIP Vol.09 「 平泉 : 達谷窟毘沙門堂 」

2008年 SLOW TRIP 母姉妹と春の東北旅行編 #06

2008年4月16日(月曜日) #2

朝一番で平泉に到着し貸切の中尊寺を歩いた僕らは次の訪問先へ向かった


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KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.009"

2008.4.26

2008 SLOW TRIP Vol.08 「 中尊寺 : 盛者必衰 」



2008年 SLOW TRIP 母姉妹と春の東北旅行編 #05

2008年4月14〜16日(月曜日) #1

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KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.008"

2008.4.25

2008 SLOW TRIP Vol.007 「 仙台市内 : ザ・テリトリー 」



2008年 SLOW TRIP 母姉妹と春の東北旅行編 #04

2008年4月13日(日曜日) #2

長命館公園を満喫したあと向かった先は奥山にある定義如来

ここから30分とかからないだろう

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KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.007"

2008.4.24

2008 SLOW TRIP Vol.006 「 長命館公園 : Welcome to Home Park 」



2008年 SLOW TRIP 母姉妹と春の東北旅行編 #03

2008年4月13日(日曜日) #1

予定では山形方面に行こうとしたけれど桜の開花がまだだと前の晩WEBサイトで知った

それじゃ今日は近所、僕のテリトリーをお二人さんに紹介しようかな

朝6時には家を出ますよ


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KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.006"

2008.4.23

2008 SLOW TRIP Vol.004 「 大内宿 : タイム・スリップ 」


2008年 SLOW TRIP 母姉妹と春の東北旅行編 #02

2008年4月12日(土曜日) #2

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KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.005"

2008.4.22

2008 SLOW TRIP Vol.004 「 大河原 : 一目千本桜 2008 」


2008年 SLOW TRIP 母姉妹と春の東北旅行編 #01

2008年4月12日(土曜日) #1

2年半ぶりに母と母の妹の加代ちゃんが北海道から遊びにやって来た

前回は紅葉時期にやってきて東北の素晴らしさを全身で受け止めて帰ったようだ

今回は春の東北を味わってもらおうじゃないか

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KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.004"

2008.4.19

岩手県二戸の座敷童が出ると有名な古宿で

E STREET BAND の キーボードプレイヤー、

Danny Federici の訃報を知った

ついに僕のヒーローの死に向き合わなければならなくなった

窓を開けると田畑が広がる田園風景

そこに満開の桜が色を添えている

けれど今日はシトシトと雨が朝から降っている

泣いているように、、。


ありがとう、Danny

あなたの奏でるB3(ハモンドオルガン)に救われました

車の中では必ずあなたのB3が大音量で響いていた

最高にRockしたし、人生を振り返られた

重要な曲にはDannyのアレンジが必ず響いていた

優しいメロディー

コミカルなメロディー

忘れられないメロディーが。

ありがとう、Danny

ありがとう、Danny


ありがとう、Danny




Danny Federici にご冥福を祈ります

2008.4.19 KENICHI KIKUCHI


2008.4.17

アンティークな旅館に似合わず無線LANが使えたのでちょっと更新してみます

2008.4.15

2008.4.14

4月10日から2年半振りに母と母の妹の加代ちゃんが仙台に訪れている

前回は紅葉の東北を満喫したふたり

今回は桜の東北を満喫してもらおう

車で5分の僕がいつも行く公園も満開だった

この旅の記録は SLOW TRIP として近々まとめたいと思います

東北の素晴らしさを伝えるのが僕の役目なので

今週いっぱい桜前線に乗っかり母たちと旅に出たいと思います

KENICHI KIKUCHI "cherry-blossom front"

2008.4.11

「la mia Gran Turismo #18」

ついにその時が訪れた!

BNR32型 GT-R のハンドルを握るチャンスが!

職場の喫茶店でウエイトレスをしてた女の子の彼所有のGT-R
こっそり運転させてくれると言うのだ。
ラッキー! (ごめんねあのときの彼氏さん)

休憩時間、壊しても弁償出来ないので僕らは広い港へ移動した。

タイトなR32のコクピットにおさまるだけで
胸がドキドキと高鳴った。


アクセルを踏み込む、

速い!? 速すぎる!

ツインカムノイズをはきながらレスポンスの良いRB26DETTが本領を発揮した!

シートバックに身体は叩き付けられない
だけれどスピードメーターは一気に跳ね上がる

後輪の空転はスタートの一瞬で4駆にトルク配分が変わり
GT-Rの室内が平和に高速移動する感覚

アクセルもブースターのおかげで重すぎない
遊びの無いハンドリングが軽快
そしてシフト・フィーリングも最高

すべてが高レベル。

下手な車に金をかけてチューニングしても追いつけない
技術の結晶があった!

ハコスカGT-Rのスパルタンな操作イメージは無い
誰でも扱える車だった。

笑ってしまう。

笑ってしまうしかなかった。

エキゾーストマフラーを変えただけの車両だったけれど
300psは軽く超えていたであろうか。
その加速の中においても一切の不安を感じなかった。

GT-Rを降りてカモメの声を聞きながら
僕はしばらくボーッとしてしまった。



ほどなくして長く愛されてきた喫茶店が店を閉じることになった。

あきらかに釧路の駅前を歩く若者が減った。
北大通をずっと見渡せたガラス張りの店にいると良くわかった。

はじめは気のせいかと思ったけれど
あんなに活気だっていた駅前の北大通りが空っぽになったんだ。

第二次ベビー・ブーム最後の世代の僕らが卒業と同時に雪迎えのように各地へ散ったのと
郊外に大型店舗が出来つつあったのが原因であろう。

母体の会社は、ある有名な外食チェーンのフランチャイズ店を10店舗ばかりもっていたので
社長にそっちへ移動して欲しいと打診されたけれど断った。

決められたレシピで決められた笑顔で毎日チキンばかり揚げるのは自信が無かったから。
(あっ!ばれた)

ちょうど同じビルに入っていた会社に同級生の女の子が働いていて
来てくれと頼まれていた。

給料も倍になれば、いろいろ車もいじれるだろうか、。



流れに身を任せ僕はつまらんサラリーマンになった

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #18"

2008.4.10

「la mia Gran Turismo #17」

それはある夜突然に訪れた

「完成しましたよ!」

僕のGTSがついに生まれ変わった。

これから帯広から釧路まで納車に来てくれると言う。

そしてそれは恐ろしいほどのタイムでやってきた。

「本当に帯広から来たのだろうか、。」

仕上がった車の扱いの説明を受け代車のミニカと交換した。

初走行だ。

アクセルを踏み込む。

ホイールスピン!

タイヤがグリップした瞬間、リアが沈み身体がシートバックに強く押し付けられる

速い!

体感速度が半端じゃなかった !

即ちトータルバランスがあきらかに崩れていた。

パワーをサスペンションが支えきれていない。
ブレーキが弱い。止まらない。

しかしこの暴力的な加速に酔った。

今思えば240psそこそこのパワーだったのだろうけれど
大満足だった。

明くる晩も明くる晩も友のRSターボと峠道を走った。

気づいたら車の中で目覚めることなどいつもの事だった。
そのまま職場へ行くのさ。
幸い熱い珈琲はいくらでも飲めたからね。

ある土曜の夜ゼロヨン会場で
なんてことはないトヨタのツインターボに敗北した。

エンジンパワーがドライブレーンにつながらない。

クラッチが滑ってしまったのだ。

あたりまえのことだ。

クラッチ、サスペンション、ブレーキ、
目先のパワーよりも大事な部分が劣っていたのだもの。
順番があべこべだ

要するににいろいろ書いてきたけれど
車に対してまだ理解していなかったことが多かったのだろう

車と対話すると言う意味もまだわからなかったのだろう

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #17"

2008.4.8

「la mia Gran Turismo #16」

その噂は次期スカイライン、R32型スカイラインに
GT-Rの称号を与えたモデルが復活すると言う噂。

当時書店には噂の新型車系の雑誌が並び始め
偽装されたR32 GT-Rが北海道のテストコースで盗撮されたりしていた。

そして噂は現実のものとなった!

16年振りのGT-Rの復活だ

速さのためだけに徹底的に作り込まれたGT-R
当時のバブル経済の成せた技であったと今思う。

そして登場後はご存知の通り数々のレースを圧巻した。

当時盛り上がっていたグループAでは無敵のフォード・シエラ勢に対し
デビュー戦から1・2フィニッシュ

圧倒的な速さだ!

後に各社から発売された280psの強烈な車たちも
GT-Rの前には全く歯が立たなかった。

 

車好きには車が集まってくるのだろうか?
当時の車スポーティーな車はほとんど運転する機会を得た
ホンダ NSX(1990)、シビックSi、CR-X
日産 フェアレディZ(Z32)、シルビア(S13)、パルサーGTI-R(1990)
マツダ RX-7(FC3S、FD3S) 、ユーノス・コスモ(1990)
トヨタ レビン(AE86、AE92)、スープラ(A70)、ソアラ(Z10、Z20)
三菱 GTO(1990) . . .

当時興味のある車は手当たり次第試した。
けど熱くさせる車は少なかったな。
(NSXとFD3Sはコーナリングが楽しい良い車だった!)


それにしても僕の車が出来上がらない。
連絡するとメカニックたちは燃調に苦しんでいる様子だった。

そりゃそうだ
同じ型をしているからといって簡単に心臓を乗せ換えられるはずがない。

それでも僕は休みをもらう度に心配で

代車のおんぼろミニカで帯広まで走らせてはGTSを見守った

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #16"

2008.4.7

「la mia Gran Turismo #15」

エンジン載せ変え及び、インタークーラー変更、吸排気系変更、
EVC&F-COMでブーストアップなどのパワーアップの為
僕のスカイラインGTSは長期入院することになった。

出された代車はおんぼろの三菱ミニカ。

この間に僕は他の車種にも目を向けてみた。

そのときにつきあっていた彼女は二代目CR-X(1987)に乗っていた。
一緒に選んた車だ。
真似てトミーカイラのデコ・ラインを入れてたので
僕のGTSを小さくした感じで愛嬌があった。
ZC型エンジンもキビキビして好印象。
足回りを見直すと高次元のコーナリング性能を見せた。

そうそうGTSが酔っぱらいに突っ込まれたときの代車が
出たばかりの新車種プリメーラ(1990)だった。
1800ccの廉価グレードだったけれど
マルチリンクサスペンションの出来が良く
あきらかにあの時代の中で突出した性能の一般車だった。
あまりの限界の高さに調子に乗り猛スピードで雪山に突っ込んだ事があったっけ。
あの時良く無傷だったなぁ。

職場の喫茶店の仲間たちも免許取得と同時に車を買った
もっとも良いな! と思った車がミアータ、初代ユーノスロードスター(1989)だ。
シフト・フィーリングがたまらいんだ
何度もコクコクとチェンジしたくなる。
愛らしい900kgの軽量ボディに1600cc(120ps)のエンジンがバランス良く楽しめた。
ロードスターに乗る友達は多かった。
だからか乗る機会も多く思い入れのある車のひとつ。

喫茶店のカウンターでは様々な思いを秘めた若者たちが座っていた。

僕は珈琲を煎れながらたくさんの言葉に耳を傾けた。

夢の話、恋の話、仕事の話、趣味の話、

そしてこの時代車好きたちが一様に興奮して話す噂があった

ある車の復活の噂だった

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #15"

2008.4.6

「la mia Gran Turismo #14」

「サティスファクション」


その頃僕は高校を卒業してそのまま就職し真面目に働いていた。

恋をしていたのだ。

その女性(ひと)との暮らしを夢見て少しでも給料の良いところで働いていた。

半年もすぎた頃
学生時代のバイト先喫茶店の店長から連絡が入る。

「KEN、たのむ、戻ってきてくれ」


二つ返事で了解した。

2年と少し続いた恋も終わり、地味な職場にも飽き飽きしていたからだ。

釧路で一番人気があった喫茶店へ戻り正社員になった。

響きは良いけど手取りは12万だったかな。
なんてこたぁないあの頃の僕には十分だった。

しかし十分だったところにエンジン載せ変えの欲望が舞い降りた。

不十分になりそうだ。

けど若い頃の欲望は若い頃に果たすをモットーにしていた僕は強行した。

父親には今載っているエンジンがダメになったと嘘をついた。
けれどそんなのはバレていたろう。

チューニング費用のクレジット用紙の保証人欄に記入してもらうまでに数ヶ月要した。

古い手も使った。
「肩揉み」「家事手伝い」「おつかい」、、、
ただの馬鹿である。

スーサイド・マシーンの切符にサインさせるなんざ
馬鹿息子である。

最大の難関を脱出した。

けど支払うのは自分だ。
手取り12万で11万がほぼ車関係で消えた。

ガソリン代がない。

そのためサンクス(コンビニエンス・ストア)の夜勤をした。

だから週に一、二回一睡も無い日があったんだ。

でもそんなのは学生の頃から慣れている。



ハンドルを握りギアを入れアクセルを踏み込むだけで満足だった

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #14"

2008.4.5

「大変なときにお世話になったので」

いつもお菓子などを持ってきてくれるご高齢のお客さんがいる

「とんでもございません」と

やんわりお断りしても置いてゆかれる。

「残りの人生、お世話になった人への感謝の思いを伝えながら生きるだけなんです」

顧客と企業の関係はおおよそにして

選んでもらって生かされている企業側がお世話になっているのである。

それでも否定されてしまう。

そして「お気持ちはよく伝わっておりますよ」と言っても、。

いつからか、ならばお金のかからないものにしましょうと提案

例えば、手作り便せんをいただいたら

撮った写真のポストカードを交換したりということにして続いている。

いわばちょっとした芸術交換だ。

ご高齢と言っても彼女は英語の個人教師でモダンでいつもエネルギッシュだ

そしていつも帰り際に

「今日もパワーいただきました! どうもありがとう!」

両腕でガッツポーズをして満面の笑顔で帰られる。

損得勘定ばかりの世の中

自分や自分の家族だけうまくやれりゃそれでいい、だとかの中で

僕らが逆にパワーをいただいてしまう。

先月のバレンタインにゴディバリキュールをいただいてしまった。

いくら「ダメですよ〜」と言っても。

今月僕は弾き語りを収めた一枚のCDを一晩で作った

「恥ずかしいから誰にも聴かせないでくださいよ」と笑いながら

昨日いらしたときに渡した。

最上級に興奮して帰られて、数時間後

それ以上に興奮して電話が掛かってきた

興奮すると彼女は言語が英語になるんだ

「 !! !!! !! !! ・・・!!!! !! !! ・・・!! !!! Wonderful !!!」

よくわからなかったけれど最後のワンダフルだけ聞き取れた。

良かった良かった

KENICHI KIKUCHI "Wonderful"

2008.4.4

Gran Turismo とイタリア語表記なのでタイトルを今回からチェンジ

車で言えばマイナーチェンジ!

「la mia Gran Turismo #13」

「チープ・スリル」

釧路の出入り口、大楽毛(おたのしけ) と呼ばれる地域(通はダイラッケと呼ぶ)を抜けると
白糠町(しらぬか) へ向かう広大な平地が広がる。

国道38号線からガソリンスタンドの手前を右折すると
その広大な敷地に工業団地が広がり、まっすぐに伸びた舗装道路が碁盤の目のように伸びていた。

誰もいなくなる隔週の土曜の夜ここは賑わった

0-400m(ゼロヨン)会場にはもってこいの場所だった。

どこからともなく得体の知れないマシンが集まった。

自然と同クラスのマシンが列を作りスターターの合図で400mを競った。

「ゴン!」

あまりのパワーにドライブシャフトが折れたS30Z

タイヤの焼きこげるニオイ。

ここにはチープ・スリルに命をかける若者が集まっていた。

ますますスピードと言う魔力に取り憑かれた。

 

僕は釧路から2時間離れた帯広という街に親戚がいたのでよく出かけていた。

時間も余したあるとき、この街の外れにある有名なチューニング・ショップをのぞきにいった。

工場の中ではチューニング雑誌に載るようないかにも速そうな車たちが整備されている

シャシーダイナモの上でパワーチエックしている7Mソアラが轟音をあげていた。

ショップの人といろいろ話しをして盛り上がっていたら

「おっ! ちょうどいい! 無傷のRB20DET(後期型ツインカムターボ) 手に入るよ」
と。

工場の裏には全損と見られるGTSが横たわっていた。
けど奇跡的にフロント、エンジン部分は無傷だった。

これは偶然なのだろうか?

帰り道僕は胸が熱くなった。
エンジン載せ変え。大手術だ。

僕は出してもらった見積もりのお金をどう工面するかしか考えていなかった。

 

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #13"

2008.4.3

「My Gran Turismo #12」

ハコスカGT-R との出逢いは強烈だった。

僕が生まれる数年前のスカイラインである
子供の頃乗ったケンメリスカイライン、
僕は書籍を集め、熱心にスカイラインの歴史を辿った。

何故日本ではスカイラインに思い入れの強い人が多いのか、
何故ポルシェにライバル心を燃やすのか、

1964年の第2回日本グランプリにおいて生沢徹氏が駆るセダンボディのS54B型スカイラインが
たとえ一周だけでもピュアなレーシングカー・ポルシェ・カレラ904を抜き去った記憶。

レースでハコスカGT-Rが高橋国光氏らの活躍により50勝を達成した記憶。

ケンメリGT-Rが排ガス規制により197台生産でレースに出場すること無く幕を下ろした記憶。

熱くさせる歴史の数々にぶちあたった。

ハコスカ、ケンメリ、ジャパン、鉄仮面、セプンス、
モデル毎に愛称が定着するのも面白かった。

途端に今までスタイルに惚れただけで乗っていたGTSへの思い入れが強くなった。
スカイラインに乗っているのを誇らしく思えたからだ。

 

いつもの友が今晩もやって来た

けどシティ・ターボの音がしない。

外へ出てみると銀黒ツートーンのスカイラインRSターボに乗っていた

そしてガッツポーズで僕に「手に入れたこと」を知らせてくれた。

「おおっ!」

早速ハンドルを握らせてもらった。

多少あそびのあるハンドルはずっしり重い
40km以下はスピードメーターがブルブルして安定しない
サスペンションは今まで乗った車にないほど固い。
赤く塗られた4気筒FJ20ETエンジンはドクドクとボンネットで脈打っている。

アクセルを踏み込む、。

ドッカンターボだ! 最高出力を叩き出す 6,400回転手前からの加速は異常だ!
シティ・ターボと違い100kmを超えても加速は衰えることがない!

「怖い、。」

日産の櫻井さんは市販車でなんて車を作ったんだと思った。

高校生のときから良くしてもらった日産営業マンKさんの言葉、
「RSは新車で販売すると一週間でほとんど戻ってきた車だった」と言ってたのを思い出した。

扱えないのだ
だから事故を起こし工場に戻ってくる。

しかし、RSをしばらく乗っているとわかってくる。

乗りこなそうとするよりも
RSを自由に解放してやるんだという感覚。

汗をかく車だ。
運転をするのに汗をかくのだ。
重たいハンドルとクラッチ、ブレーキ、アクセルワーク
そして集中力。

次第に常にタービンが回る音を聴いてる領域、麻薬のような加速の中での運転が出来るようになった。

楽しい!


シートベルトにしめつけられた僕らは大笑いしていた



スカイラインが何故この時代も愛されているのかがわかった


KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #12"

2008.4.2

「My Gran Turismo #11」

そのビデオのタイトルは「首都高速トライアル」

フルチューンで走るDR30型のスカイラインRSターボに衝撃を受けた。
車の知らなかった一面を見た。

そりゃそうだ、スピードに興味がないからSOHCのGTSを買ったのだから。

ウエストゲートの開閉する音、排気音、手を入れればどんどん上がる馬力、一瞬でやられた。
GTSに乗り込んで口で言ってたもんね
「プシューン! ピュロロロ、、バコーン! 」

それまでのL型エンジンなどのメカチューンに変わって
ターボ時代の幕開けとともにチューニングカーブームが来るところであった。
ライトチューニングでも車の性能を引きあげられたのだ。

そんな中、釧路にも本格的なチューニングショップがオープンした。
レーシングドライバー土屋圭一さんを迎えた華々しいオープンに出向いた。
けど、どれも自分のGTSに合うパーツが無い。
エキゾースト・マフラーさえ無い。

がっかりしたままハンドルを握って帰った。

その頃には毎月買ってたオートファッションといったカー雑誌に
オプションやカーボーイも買い足して熱心に読んでいた。

ドリフトなる走りを土屋圭一氏の影響を受け
毎日ビデオでその走りを見て研究した。



ある夜、事故に遭ってしまい結局見ることの出来なかった
KPGC10型 スカイラインGT-R を見に行くこととなった。

その所有している人の家は豪邸だった。
当然か。

車庫の中にはなんてことない白のHR30型ポールニューマン・バージョンのスカイライン4ドア
その奥にハコスカが新車当時の姿で眠っていた!

レストアに1000万近くかけていたのであろう、素晴らしいコンディション!

幸運にも運転席に座らせてくれると言う。
そしてエンジンキーを渡され
エンジンをかける儀式を教わる。

エンジンキーを回し電磁ポンプの音に耳を傾け
2、3度アクセルを踏み燃料をキャブに送り
4分の1スロットルを開けて一
気にエンジンキーを回す、

「バグゥオーン!!」

一発で伝説のS20型エンジンが目覚めた!!

完全にやられた

この瞬間に完全にやられたのだ

あれにやられない男はいないかもしれない

僕の身体の中、GT-Rの赤エンブレムのような真っ赤な血液が沸騰していたのが確かにわかった

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #11"

2008.4.1

ポストに音楽仲間から出来立てのCDが届いてた

今夜帰り道でめずらしく彼女の唄を思い出してたから

なんだか不思議な感じがした。

ピアノとオルガンのシンプルな演奏と

ラフなボーカルミックスが逆に空気感、LIVE感があってとっても良かった。

沖縄LIVEギターでお手伝いした馴染みの曲たちがCDとしてついにまとまって何だかうれしい

現在の彼女の状況、幸せに包まれた状況が

素直に表現されてて

共感出来る人たちもたくさん多いと思うな。

おすすめします!

あれっ 非売品なの??

KENICHI KIKUCHI "Reo's New CD"