2008.10.7
僕は一度経験したことがある
「いも煮会」
それまでは不思議な言葉だったな
今でも変わってるなぁ、と思う
秋になり最近じゃめっきり冷え込んで来た
そう「いも煮会」の季節到来だ
さっそくふたりに経験してもらおうじゃないかい
隣の地下鉄駅まで送迎車が来てくれているので歩いて向った
途中の自動車学校では交通安全集会みたいなことをやっていて秋刀魚が振る舞われていた
匂いにつられそうになったけれど時間がぎりぎりなので歩いた。歩いた。歩いた。
僕らの住む仙台市泉区には
大きな「泉ヶ岳」がある
故郷
2008.10.6
2008 SLOW TRIP Vol.025「 釧路〜音更〜帯広〜苫小牧 : DRIVING IN MY CAR Part.2 」
衝動で帰った故郷
病気に苦悩する友の前での弾き語り
そして父の癌入院の事実
新しい朝はいつも通り来た
2008年9月22日(月曜日)
実家へ戻った翌朝、秋刀魚の香ばしい匂いで目覚めた
随分と脂ののった太った秋刀魚だ
魚を焼くガスコンロでここまで美味しく絶妙に焼けるのは母の成せる技なんだろう
昨夜知らされた父の入院。癌に侵された胃の摘出手術が成功し
なんと今日退院すると言う。
そして母と病院へ迎えに行った。
そのまま父の勤務先のタクシー会社に置いてあった父の車をとりに行く。
「本当に運転出来るの?」
「大丈夫だ」
そうなのだ
出来ることなんて限られている
してあげたくても出来ないことだらけだ
だからこそ家族に何かがあったら"せめて"知っていなければいけないと思う
「まったくっ!」
その日僕は1日中出掛けた精神を落ち着けるために休んだ
そして僕はそこで弾き語りをした
限られた
そしてとても重要なコンサート。
自分の作った歌を歌って涙が込み上げて来たのは今日がはじめてのことだった。
高山から見下ろす夜景が揺れていた
日が暮れた
2008年9月23日(火曜日)
今日は帰る日だ
せっかくなので母が大切に育てているイングリッシュ・ローズにでも挨拶して行こう
父がどんな日もスズメたちの為にパンくずを置いておく小鳥ハウスにも挨拶して行こう
僕が子供の頃に父が作ったハウスだけあって貫禄が出てた
いつの日の事、虫取り網でスズメをつかまえた僕は
そのスズメを怪我させてしまった。
そして赤チンを塗って包帯を巻いてこのハウスへ入れたあげた。
翌朝、猫の声で外へ飛び出すと
包帯だけを残してスズメは消えていた。
今でもそのときの罪悪感に襲われるときがある
晴れた良い日だ
出発にはもってこいの日だ
旅立ち際、父の昔からの友達の"浜おじさん"がやってきた
「親父長いことないんだから、KEN早く結婚せぇ!」
残酷に聞こえる台詞も長年の父の友人から聞かされると安心に変わるから不思議だ。
父は来月にはまた大腸ポリーブ摘出手術の為入院する。
しかし僕の暮らす街はここじゃない
帰るしかない
「何かあったら今度は必ず知らせてよ」
ブロロロロロロ......
僕の実家は釧路の東の外れの方だ
だから釧路を横断して帰ることになる
学生の頃から週に一度は顔を出していた南大通りにある楽器屋に寄りギター弦を買った。
元気そうだったおやじさんに手を振り空っぽの北大通を走らせた。
つぶれたデパート、シャッターが降ろされた商店街、それらを冷たい横目で流した
星ヶ浦の友達の顔が見たくなりアポ無しで立ち寄った
突然の訪問でも暖かく迎えてくれる友
久々に奥さんにも会えた
はじめてキッズにも会えた
おかげでこれから6時間近く運転するために必要なパワーをもらった!
そして僕の歌にも登場するルート38を走り続けた僕の前には誰もいないし
バッグミラーにも何も映らない
西庶路、白糠、音別、直別、浦幌、幕別、、
釧路から2時間近く走らせると碁盤の目の街「帯広」に辿り着く。
今朝、父の姉のレイコおばちゃんから電話が有って
「お昼寄って行きなさい」と言われていた。
レイコおばちゃんは帯広の隣町「音更」に住んでいる。
音更は秋祭りのまっただ中で小さな町だけれど活気づいていた
なのに何故か音更だけが雨振りだった
おばちゃん夫婦はこの家の向かいの場所で商店をやっていた
数年前、不景気と都市計画により100年以上続いた商店を廃業した。
僕が小さな頃はここに親に連れられ遊びにくるのが大の楽しみだった。
車の免許をとってからもよく立ち寄った。
おばちゃんは語っているらしい
「KENの彼女は両親よりもたくさん知っている」と
ゴメンね、今日は一人だよ
おばちゃんが「お昼食べに帯広行こう!」と言った
おばちゃんおすすめの豚丼屋「とん田」へ行ったけれど長蛇の列でダメ。
今は豚丼元祖「ぱんちょう」の味が落ちてこちらの店が人気らしい。
次は絶対食べてみたいな。
もう少し車を走らせて、チェーン店だけれど美味い「いっぴん」に行った。
そうか、レイコおばちゃんとは随分会っていなかったのか
レイコおばちゃんは白内障で目が随分悪くなっていた。
自分たちの店を失ったことに起因するさみしいことをたまに口にするけれど大丈夫
「これから好きなことをやるといいよ、仙台遊びにおいでよ」
おばちゃんを音更まで送りそう伝えた。
バッグミラーから見えなくなるまでおばちゃんは手を振ってくれていた。
ここは十勝だ。
北海道は広いんだと実感出来る一番の場所だ
緑の畑、澄み渡る空
どんなことがあっても大丈夫だと考えられる場所だから
おばちゃん、大丈夫さ
苫小牧港フェリーポートまでの時間が押していたので音更インターから高速道路に乗った
札幌から道東を結ぶ高速道路はもう何年も前から計画、建設している。道東側からは今はトマムまで伸びた。
険しい日勝峠を回避出来る道だ。
やっぱり一般道も高速道路も北海道ならではの広さを感じさせる道なんだろうバイク乗りたちがやってくるのも理解出来る
広さは自由さみたいなものだ
憧れも生まれる
僕には故郷の大地はある意味「現実の固まり」みたいなものだけれど
自然とアクセルを踏む右足は調整しているのだろう
苫小牧港には予定時間に到着した
乗船待ちで「きそ」を見上げた
ナビとポケットのiPhoneが Bluetoothでつながっている
まるで「ナイト2000」と会話するように退屈な時間をJJと話しながら待った
ぱっくり口が開いたフェリーに入ってゆく頃にはもう陽が沈んでいた
お疲れGT
過酷な僕の要求にも応えてくれてありがとう
帰ったらオイル交換してあげるからね
お固いGermanに囲まれているから大丈夫だね
行きの「きたかみ」よりも帰りの「きそ」の方が新しいようだ
ベッドでゆっくり眠れそうさ
朝、母に持たされた弁当を夕食としていただいた。
卵焼きにゆで卵か、。
そういや、ゆで卵なんて随分食べてないなぁ
黄身、モソモソして嫌だろうなぁ
でももったいないから食べようか、。
んっ? あれっ、美味いなぁ!
そして
船内の売店でチューハイをひと缶買って飲んだらいつの間にか眠ってしまったようだ、、、。
2008年9月24日(水曜日)やたらと眠っていた気がした
時計も見ず、
乾いた喉を潤すために小銭を持って部屋を出た
寝ぼけていた僕は財布のとなりにあったカメラもつかんでいた
バタン、。
「こっちこっち」
ロビーに行くと知らないおじさんが手招きしている
「へっ!?」
「な、なんですか?」
数分前は眠っていた頭だ
夢の続きか現実かも良くわからない状態で
呼ばれるままに知らないおじさんの後をついていった
「もうすぐだよ」
おじさんが言った。
日の出の時間なんだ!
よく見るとおじさんの手にもデジカメがあった
「来ましたね!」
「へへへっ」
「太陽が海から離れる瞬間がいいんだよね」
「海面がひっぱられるようでさ」
「本当ですね!」
僕は毎日繰り返される美しい光景にうれしかった
そしてロマンチックで少し照れ屋なおじさんとの出会いもうれしかった
まだ月も存在を主張していて
SUN & MOON
ここからの数分間は特に太陽のパワーを感じられずにはいられない
あっと言う間にこの世界を照らして行く
この奇跡みたいな光景はせいぜい元旦の初日の出ぐらいしか目にしない
もったいない
僕はこの美しい瞬間を毎日コンクリートの建物の中で目をつぶっているとは
船内には新しい命の誕生みたいに光が充満していた
それから僕らを乗せた船は数時間後仙台港へ着いた
衝動で戻った故郷の大地
仲間たちに正しく会えた
正しく歌えた
年老いた家族に正しく会えた
正しく話せた
人はやっぱりつながっているものだ
だって声が届かなくてもしっかり聴こえていたんだから
しっかり聴こえているんだから
2008 SLOW TRIP Vol.025「 北海道 : DRIVING IN MY CAR 」完
KENICHI KIKUCHI "2008 SLOW TRIP Vol.025"