1997.3.31

この街へ来てから今日でちょうど、1年がたった、、。

今年は雪が少なく、去年の今ごろのように背丈の高い雪山が道路沿いにはもうない、 それでも、昨日の夜から降りだした、やわらかな雪のせいで、この札幌の街はまた真っ白になった。

いろいろな人に出会った、この一年。 とてもエキサイティングではあった。

もともと冷たい男なのか、一人で暮らすのも、性にあった、。家族や恋人を遠くに残して来ても寂しくなかった。 その恋人とは、寒くなりかけた11月にうまくいかなくなった、。  

とにかく、いろいろあった、つらい時期もHappyな時もいろいろくぐり抜けて来たんだ。

これから一年はもっと激しく生き抜いてやる!

みんなも、ありきたりからおもいっきりJumpしようぜ!

KENICHI KIKUCHI "NEXT YEAR"

1997.3.29

僕の後輩の"ナチュラルNarihiro"が旅にでる、、。

その話しを聞いた時、とてもうれしかった、そして僕も興奮した  別に僕だけDreamer気取ってたわけじゃないが、彼はいつか何かやらかそうと胸に秘めてたらしい。

それまでの仕事を辞め、先は見えない、いつまで続くかもわからない、、、。

ただTVで見た壮大な "River" 目指す、! 。

かっこいいじゃない! 大変だろうけど!  かっこいいぜ! ROCKだよね!

自分のやりたい事ってのが、なかなか見つからない人が多いなか、そいつを探し決定を下した彼に乾杯!  僕に出来る事はなんでもしてやるぜ!

それまで、僕の車庫でBikeを大切に保管しとくからな。

KENICHI KIKUCHI  "TRIP"

1997.3.27

今日は"うた"について、。

もう何年も前のある晴れた日曜日僕は2時間程の距離のとなり街まで母親を乗せて車を走らせていた  カー・ステレオからはBRUCE SPRINGSTEENのアルバム"TUNNEL OF LOVE"が流れている  一番気に入っているこのアルバムの中の6曲目に"WALK LIKE A MAN"と言う曲があった  様々な愛について歌われたこのアルバムの中のこの曲は、親と子の愛のうたであった  素晴しい表現でうたわれたこの曲が流れた時に僕はそのまま歌詞を訳して母に聞かせた  3分36秒のこの曲が終わるとき僕は歌詞に心を動かされ涙ぐんでいた、はずかしいので母にばれないようにね、。  でも、どうだろう、隣を振り向くと僕にばれないように涙をふいている母がいた  感受性が強いとか、そういう事じゃなく、"うた"が素晴しいのだ。  いやその"うた"があまりにも感動的で現実的で正直なのだ。

ふだんから母親に軽口を叩いていた僕だけど、恥ずかしくなった。

"うた"の魅力(魔力か、、)は全ての人が経験しているもの、、

僕はそいつにとてもぴったりくるんだ。

KENICHI KIKUCHI "Walk Like A man"

1997.3.26

昨日、僕のLIVEを見にきてくれた事で知り合った高校生の卒業LIVEを見てきた。

さびれたGAME センターの2FにあるLIVE STUDIOで彼らは、演奏してた。

おもえば、8年も前に僕らも"卒業LIVE"をした。

こういうのは一度きりなもの、いろいろ思い出になるもの、、。

うす暗いそのステージの前で、僕は興奮していた。

やる側は必死。 でも、いろいろ頭に浮かべながらやっている、。

終わってから、その"切れる"事の出来なかったステージに、彼らは落ち込んでいた。

それは、決して後悔なんかせずに、悔しがっていた、、。

後悔せずにね。

いい汗を見て、僕はそのまま興奮して部屋へ帰った。

KENICHI KIKUCHI "卒業LIVE"

1997.3.24

横浜に住んでいる僕の大切な先輩からTELが入った、。

僕と同じくその女性も夢を見続けている。  やっている土俵は違うけど。今も自分の好きな事を続けている人はもう何人もいなくなった、。みんな良くも悪くもまとまっちゃったんだ。

いろいろ話したのだけれど、彼女はその時その時を大切にしているし、自分のスタンスを知っている。

けど、ちょっと疲れ気味のようだった。

"半分、意地張って続けてるのかもね"って笑ってた、。

なんか、安心したなぁ9年前と同じなんだもの、あの人も俺も。

いろいろなものの受け入れ方は変わったけどね。

"信じるものがたった一つでもあればいいさ" (SEEDS 1992) って僕は歌ってたよーに

幸せもんだよね、信じるものが死んでないのだから、。

KENICHI KIKUCHI "I'm glowin' seeds"

1997.3.23

ズズ、ズ、、、ザ、ザザザ-、--、

時々僕のアンテナは調子が悪くなる、 ザ、ザッ、、。

最近、磨くのを忘れていたからかなぁ、、それとも、地下鉄駅にごったがえす人達の中でむせかえってしまったから、、。

自分ばかりを書くのは良くないかもね、そう、人だらけのあの場所で教わらなくてはいけないこともあるはずなのに。  それでも、失った人達の事とか、 まずくて、目もあてられない現実の事とか、ばっかり、、。

ズズ、ズ、、、ザ、ザザザ-、--、

いかにPureでいられるかを考える時点で、僕のアンテナの受信感度は最悪になる、、

いかに、そのままでいられるかで、うっすらとイメージが浮かび上がる。

それでも、まだ調子っぱずれ!

KENICHI KIKUCHI "散らかった文章ばかり"

1997.3.22

"問題意識をどの時期にもつか?" って。

いろいろな問題。世の中の問題、世界のどこかで起きている問題、、。でもここでの問題は自分自信の問題。 はっきりさせなければ、それに繋がる全ての問題にさえ気付けなくなる。

たしかに、枠はせまかったかもしれなかったけど、TeenAgeの頃は、いろいろ腹を立ててた。 問題がはっきりしていたんだ、。 その頃書く詩に、今書く詩を読み返す、。

変化しちゃいけないものなどないけど、良くも悪くも、僕は一つを追っかけてる。

大切なものを失いながらも、。

今一度、自分を確認しようかな、。

KENICHI KIKUCHI "問題意識"

1997.3.20

ここ最近、いろいろなギターに出会っています。 と言うのも、以前僕がLIVEをやった時に知り合った、新川さんと意気投合して、2人でBandを組んだ事に始まります。

全く、出来は最悪だったLIVEで知り合い、人と組むのを嫌ってた新川さん、ましてや僕は、14も年下。 それから、僕達はいろいろ話し合い、目標を確かめました。 不思議と僕は音楽や人世についてPureな部分を彼と話す度に取り戻していく感覚に驚いてました。

それから、彼は僕の自分にもはっきりしない自分の居る位地、何に首を突っ込んでいるかを口ではなく、行動で教えてくれました。 そこで、いろいろな人にも会わせてくれ、いろいろなギターにも会わせてくれました。 人にもいろいろ性格があって、スタイルがあって、短かろうが歴史があって、。それが僕が最近出会ったギター達にも全て当てはまりました。 今までもギターに関しては生き物という特別な認識はしてましたが、これほどまでに、存在感とかを、、。

OLD Guitarは確かに素晴しいものは、素晴しいけども、ダメなものはダメなように、チープだろうがその誰かの為にネックの塗装が剥がれてまで頑張ってきたギター達、、。そしてそいつを手足の一部のように鳴かせるプレイヤー。 これ以上のものはないのかもって思いました。

ここで素晴しい人に会わせてくれた音楽に感謝したいと思います、ありがとうって。

さぁこれからがもっと大切だ!

KENICHI KIKUCHI "GUITARS"