2008.3.31

「My Gran Turismo #10」

無惨にテールが破壊された僕のスカイラインが帰ってきた。

ダメになったリア・スポイラーをトミーカイラ製に変更し
ボディ・カラーもGTS-Rや トミーカイラM30&M20と同じダークブルーに全塗装した。
おまけにトミーカイラのデコ・ラインを入れM20仕様になった。
古いボルク・メッシュではバランスが悪くなったので
ホイールも奮発してBBS RSに変えた。

かっこ良かった!
今でもあのスタイルを思い出すとゾクゾクする

 

ところで毎晩遊びにくる友の「ファースト・カー」は
黒のホンダ シティ・ターボ(1982)。

初めてのターボ車との遭遇は衝撃的だった。
わずか700Kgそこそこのボディ(今の軽四より軽い)に
5,500回転で吐き出すターボの100PSは強烈な加速だった!

確かに2名乗車のシグナル・グランプリで負けた記憶がない。
ただし100Kmまでだけれど。

こんなことがあった。

僕と友はある種クレイジーで単純なため簡単にハイになれた。
ある夜の街の交差点でソアラの族車を馬鹿にしたのを
フル搭載していた四人の怖いお兄さん方に気づかれてしまった。

その後はもう大変、シティ・ターボで逃げる逃げる、
コーナーダッシュで引き離しても
ストレートで追いつかれてしまう。
本当に100Km以上は伸びななかった!

結局追いつかれた僕らの結末はご想像にお任せするとして
この頃になるとスピードに興味を示した。
スピンターンなどキビキビした走りにも興味を示した。
ある雨の夜シティ・ターボで全開走行中そのままサイドブレーキを引いて
横転させたこともあった。
(修理費をローンで友に支払った。スマン!)

サイド・ウインドウに僕らの神 Bruce Springsteen のシルエットを貼っていた友のシティ・ターボ。
最高だったな。
なぁ、友よ!

 

その頃、レンタルビデオ屋にあるビデオが並んだ。

そのタイトルは

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #10"

2008.3.30

「My Gran Turismo #09」

お気に入りのキーホルダーにつけたエンジンキーを軽快に掴み、玄関を出る。

僕の車、スカイラインGTSクーペは想像した通りの美しさだ。
中古車屋で初めて見たそれとは全く違う戦闘的なスタイル。

どこへ出かけても楽しかった。
毎日50km以上走ってから帰った。
彼女が車に嫉妬するほど夢中になった。

その楽しいのもつかの間 交差点で対向車と事故を起こしてしまった。

初めての交通事故、何がなんだかわからなかった。
けど、今思い起こせば僕の不注意からの事故だったんだろう
幸い双方怪我の無い軽い接触事故で良かった。

ドアからリアフェンダーにかけて損傷したスカイラインは修理工場へ送られた。
相手方にもスカイラインにも悪いことをした。
ごめんなさい。


そして再び甦ったスカイラインで再び走った。
タイヤはポテンザRE71を履いていたせいか
コーナリングは大きなボディの割に良かった。

まだ雪が積もる冬のこと
友の働き先のマスターが所有しているKPGC10型スカイラインGT-Rを
見せてくれると言うので行くこととなった。

行く途中、路肩の雪山に突っ込んで動けなくなった軽四に遭遇した。

「この雪でスリップしたんだろう」

北海道の冬道ではよくある光景だ。
僕と友は車を停め雪山から車を押し出すのを助けた。
やけに陽気なドライバーに感謝され
また車に乗り込み先を急いだ。

赤信号で停車しているとバックミラーにうつるヘッドライトがみるみる迫ってきた

「ヤバい!」

1stにギアを入れたときにはもう遅く激しい衝撃が襲った、。

先ほど助けた軽四が全速で衝突して来たのだ

額を割って血を流す中年ドライバーは幸い無事で救急車を手配した。

近づいて初めて僕は異変に気がついた

「酒くせぇ、。」

なんてことだ!


せっかく修理から戻ったスカイラインはまた修理工場へ送り戻された

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #09"

2008.3.29

「My Gran Turismo #08」

「バッド・ムーン・ライジング」

また落とされた、。
3回目の本免許取得試験に落とされた。

家の車庫には届いたばかりのスカイラインGTSが眠っている。
エンジンをかけては部屋へ戻り、
またエンジンをかけてはため息をついて部屋へ戻った。

まるで小学生の頃に戻ったように車庫の車へ行き来した。

けれど違うのは友達がしているように車を運転しても良い年齢になっていること。

ある悪い月が昇った夜
僕はギアを1stに入れサイドを引いてスカイラインを車庫から出した。

右へ曲がり、そして左へ曲がり
2ndに入れて少し直線を走り
また長い道路が続く右へ。

ちょっとした山道へ走らせてすぐに戻った。

無免許運転

次の日も悪い月が昇った。

その次の日助手席に友達を乗せた夜も悪い月が昇った。

いつもの山道へ侵入する頃にはGTSのエンジンの回転数はするどく回り唸った

目の前をゆっくり走る車を次々抜いた
そしてまた目の前の車を抜いた瞬間、

それはパトカーであることに気づいた。

大それたことをする割に小心者の僕は
無免許で速度超過の上パトカーを抜き去った罪の意識に耐えきれなくなり
路肩に停め自首を覚悟した、。

後ろから迫るヘッドライトを待つ間の数秒間
胸が張り裂けそうに心臓が脈打った

「ウォーン、」

路肩に停めた僕の車の横をさっきのパトカーが通り過ぎた。

助かった、。

けどもう二度とこんな馬鹿げたことはしちゃいけない
と誓った。

翌日、就職のギリギリまでバイトを入れていた僕は3日間の休みをもらった。

みっちり運転講習を行いに教習所へ通った。

そして本免許取得路上試験

いつも鬼のようにオーバーアクションで怒鳴り散らす
年老いた試験官はいたずらに笑った


「おめでとう、一人で路上に出ても安全運転でな」

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #08"

2008.3.28

「My Gran Turismo #07」



スカイラインGTSの中古を購入するときに僕はお店の人にある注文をつけた。

親をも安心させるその地味なクーペを本来の美しさにしたかったのだ。

先ず前期型のフロント・グリルは鋭い顔になった後期型へ変更
まだR30型を引きずっていた前期型のテール・ランプはスモークのかかった後期型へ
オートスポイラーのないうすいフロントバンパーには
GTS-R純正のリップリポイラーを装着
リアスポイラーも後期型の2ドアクーペ用純正装着。

これを条件に値引き交渉開始。

僕は小学校6年生の修学旅行、お土産店での値引き交渉成立(貝で作った親子亀の置物)以来
値引き交渉のプロになっていた。
友達に「KENちゃん、あの店値引き交渉お願い〜」と頼まれるほどに。

プラス、
ホイールは店舗に積んであったボルクレーシングのメッシュタイプをサービスしてもらった。

いろいろ注文したので納車は時間を要した
おまけに付けたばかりのリアスポイラーが中古車屋で盗まれるトラブルもあった。

さぁ、問題の免許取得だ。

自分の乗ることになる車が決まると、あきらめかけてた心にまた陽が射した。


けれど、また本免試験を落とされた。

「あせり」

高校卒業式当日

男女共学でもないのであっさりしたもんだ。

男子校は汗臭いがさっぱりしていていい。
シンプルでいい。
3年間通って良かったと思った。
硬派になったとかそういうのではなく
本物と偽物をより嗅ぎ分けられるようになった気がした。

はじめは怖かった
工業高校は市内中の各中学から悪いヤツらみんなを寄せ集めたような場で
登校初日からイスで殴り合う喧嘩が教室で起きていた。

けど、番長格にのし上がるヤツでもその魂(たま)じゃないヤツは
すぐに蹴落とされるのを見た。

ハイ、あんた偽物ボコスカ、ハイあんたも違うボコスカ、、

最後に残ったのは義理人情にあふれ、ユーモアに優れ、かつ喧嘩もやたら強い男。

こりゃ面白い。

僕はまわりの動きおかまいなしにバンドとバイトに夢中だったけれど
ちょっと大人の世界に足突っ込んでいて一目置かれていたのか
たいていの仲間とすんなり仲良くなれた。
とにかく3年間通って良かった。

式が終わるとみんな近くに停めてた自慢の買ったばかりの車を見せ合い、
そしてそれぞれの愛車に乗りそれぞれの人生へ
散ってゆく。

この日は悔しかったな。


昨日納車されたばかりのスカイラインが家にあるのに

 

仮免しか持っていないのだから。

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #07"

2008.3.27

おまたせ! 今日から連日更新 MY GT!!

「My Gran Turismo #06」

ある晴れた日曜日
父と母そして僕を乗せたスバルの軽は
地元釧路で中古車屋が集まる星ヶ浦と呼ばれる方へ向かっていた。

「ファースト・カー」

この響きや思い出が特別になるのは大抵何年も過ぎてからだ。
この時点ではただの「一番最初に買う車」でしかない。

高校の仲間の中には卒業と同時に親から車を買ってもらう仲間も少なくなかった。
納車前の新車のGX81型マークUのカタログを見てニタニタしてる奴。
僕らのグループは分厚い中古車雑誌から就職先の安い初任給でも支払っていけそうな車を探した。

僕は美しいクーペのスカイラインかズィー・カー(フェアレディZ)が欲しかった。
Zに興味があったのは小学校の通学路にいつもあったオレンジ色の130型Zが好きだったから。
一番好きな当時現行の HR31型 7代目スカイラインGTS 2ドアクーペは 市場価格 250万オーバー
フェアレディZで一番欲しいのは現行の200ZR。これも300万近い。
「角張った初期型(カラスマスク)のZ31なら買えるかな、。」
毎日ペラペラめくっては友達とあーだこーだ言い続けてきた。

美しい写真が掲載された雑誌と違って中古車屋で見る

年数の経過したZ31(1983〜1989)は想像よりも古めかしかった。
S30型Zのようなアンティークを醸し出すのでもなく
なんとも言えない中途半端さが80年代初期〜中期の車にはあった。
ウレタンバンパーや味気ない内装にそれを強く見た。

両親たちもいかにも危険そうなZには難色を示す。
まぁ、一銭も出してくれないのだから関係はないのだけれど(笑)

しかしどこで見る初期のVG型エンジンを積んだZはどれも程度がよろしくなかった。
そんな中、高くて無理とあきらめていたHR31型スカイラインGTSのガンメタリックの2ドアクーペを見つけた。

1オーナー、無事故車。前期型とは言えあきらかに安かった。

「んっ!?」
リア・ウインドウにワイパーがない、。
リアブレーキがドラム??

2ドアのGTSには珍しいシングル・カムのRB20E型エンジンを積んだモデルだった。

当時の僕が車に求めていたのは子供の頃から思い浮かべてたスタイルの良さ
S13シルビアも登場し勢いを増していたツインカムにターボ、スーパーチャージャーには興味が無かった。
ましてや2000cc以上は税金が高くて買っちゃいけないと思っていた。
胸がすくような速い車に乗ったことも無かったし。
確かに高校での車選びの友たちとの議論では「速い車」を求める仲間もいたけれど。

「決まりだ」

GTSの2ドアクーペが僕のものになるなんて夢にも思わなかった。

一緒に見た両親の印象も良かった。
ガンメタリックのボディカラーは落ちついて見えたし
フロントにはオートスポイラーも付いていない。
純正のリアスポイラーさえもない。
前期型のフロントグリルはあまり悪い顔に見えない。
内装は当時のスポーツから脱線気味のスカイラインらしく
当時で言う都会的な絶壁コンソールも室内を広く見せた。
2by2が用意されているとは言えフェアレディZのそれとは比べものにならない
リアシートも持っていた。

「GT (グランツーリズモ)」だった。

そもそもGTとは速いスピードで長距離旅行に耐えうる乗り物と言う意から
パワフルなエンジンを持ちつつ快適な空間を有したクーペやスポーティーセダンをさす言葉となっていた。
Zは欧米車の純粋なスポーツカーとは違うかもしれないけれど
大抵の日本人はスポーツカーであると認識しているだろう。
ここでZを選んでいたら僕はスポーツカーまっしぐらだったのかもしれない。
けど選んだのは非力な2000ccエンジン(130ps?)を積んでるとは言え
スカイラインGTSだ。

子供の頃から一番のお気に入りだったスカイライン2000GTを手にした。

 

まだ仮免しか受かっていなかったけれど。

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #06"

2008.3.26

携帯電話を見せてと言われて手渡したら

「ふ〜ん、携帯は何でもいいんだ〜」って言われた。

僕は結構モノにこだわってしまうから

これは期待を裏切ってしまったのだろう。

そういや何年もこの機種のままだなぁ

これに変えたときも東京で転んだかなんかで壊れて

仕方なく機種変更したっけ。

分厚く時代遅れか、。

iPhone 待ちとしては今機種変して縛られるのはごめんだし。

そうそう、変なことが起こるもので

両親が携帯電話を持ってしまった。

僕としては想像を超えた出来事だ。

しかも相当喜んでいるように見える。

チマチマした機械やテクノロジーを嫌う父までもだ。

多分友人たちが持っているのを遠目に羨ましがっていたのだろうか。

息子としては連絡手段があるのは良いことだけれど

まだ、

かけた電話に出ることさえ難しいようだ。

KENICHI KIKUCHI "cellular phone"

2008.3.25

いつも行列が出来ている鯛焼き屋さんがある。

いつ見ても行列。

オープンしてから何ヶ月もたつのに。

街の中にあるからよく通り過ぎる

けど、どの時間帯も行列。

確かにさくさくで美味い。

でもさくらではないかと思うほどいつも行列。

確かに手際も悪いし焼く機械も少ないのだけれどね。

KENICHI KIKUCHI "鯛焼き"

2008.3.22

私的GT史、好意的なリアクションありがとうございます
ここ見てくれる人は車好き多いみたいね!


「 My Gran Turismo #05」

高校三年生、18歳。
自動車普通免許取得出来る年齢。

相変わらず授業が終わったら高校近くの親戚の家で着替えて
すぐに街へバイト先の喫茶グリーンアップルへ向かう日々。

クラスの仲間と同じように下校時に自動車学校からの迎えのバスに乗って
他校の女子生徒とともに仲良く講習を受けるなんてことは出来なかった。

選択肢は自動車教習所の早朝実地講習のみ
実家から相当距離離れた場所にあるため
朝迎えに来てくれる教習所のマイクロバスの待ち合わせ時刻は朝5時30分。
5分と待ってくれないので寝過ごしたらその日はアウト。

僕の高校生活はこんな風に変わった

5:00 起床
5:30 教習所のマイクロバスに乗る
6:30 教習所着 運転技能講習
7:30 マイクロバスで高校まで
8:30 高校着
9:00 授業スタートと同時に熟睡
12:00 昼目覚めて食後友達とポーカー
13:00 午後の授業スタートと同時に熟睡
16:00 友達に起こされ帰路
17:00 街でバイト
21:20 最終バスで帰る
22:00 帰宅 ギターの練習と作詞とお絵描き
2:00 就寝

この合間にバンド活動に恋にと充実してた。

トップレベルの成績で入学しても最後はビリに近い成績で卒業する
ダメなやつの典型パターンに落ちた


高校生時代 : 真ん中オイラ

肉体的にも無理なスケジュールだったからか免許取得まで大変だった
仮免3回落ち、本試験も4回くらい落ちただろうか
厳しいと有名な教習所だったけれど
4ヶ月も通う頃にはあきらめも浮かんだ。

ときは冬のまっただ中で公安近くの教習所事務所の石炭ストーブを囲む連中は同じ面子。
でもそこから一人また一人と合格するか挫折しては消えていった。

それでも卒業式、就職までには必要な免許そして車。
車、
そう、ついに自分の車を持つことが出来る!

音楽に夢中でも車好きは変わらなかった
下校時に見た スカイラインGTS-R に「うぉー!」と吠えたり
恋人と札幌旅行のときに見たアルファロメオSZザカートのドライバーに交差点で
無理を言って写真を撮らせてもらったり。

そう、ハコスカ GT-R が通り過ぎたエンジン音で
「ふっ、L型か、。」って言うレベルにまで達してた。

忙しい日曜日に無理を言ってバイトを休んだ。

父と母と中古車巡りをするから。


高校で中古車雑誌を回し読みしてたから欲しい車は決めてある。



仮免しか通過していなかったけれど

 

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #05"

2008.3.20

「 My Gran Turism #04」

高校へ進学してしばらくはバス通学をしていた

けれど通学時の混雑、

そして大声で話し合う女子高生徒たちの言葉使いのひどさに耐えられず

少し遠いけれど自転車で通うことにした。

高校手前の親戚の家まで自転車を走らせそこから歩いて通った。

そこまでの道のりで必ずある場所に停まってた車があった。

7th スカイライン 4ドアハードトップ パサージュの後期型。

それまで猛スピードで漕いでいた自転車を止め、眺めてから通り過ぎた。

いつも。

スカイラインと相性が良かったのだろう

後期型になってマシになったとは言えボディサイズが大きくなった

7th スカイラインに惹かれたのだから。


高校時代の記憶はバンド活動とバイトの記憶。

ギターを買うためのバイト

ビリヤード場、ブランズウィックってメーカーのボウリングの機械のメンテナンスやら

とにかく休むことなく毎日稼いだ。

いつも最終時刻のバスで街から帰った。

暴走族全盛期でバス停に立っていることすら怖かったっけ。

改造された430、Y30セドグロやらトヨタ三兄弟やらが爆音をたてていた。

運転者はシンナーを袖に隠し吸い同乗者はハコ乗り

ラリったお姉さんは奇声をあげて目の前をふらつき

うんうん、怖かったな。

それでも毎日稼いでヤマハのギターとフェンダージャパンのギターを手にした。


その次に見つけた喫茶店でのバイト

休憩時間に読んだ漫画週刊誌の「GTロマン」に夢中になった。

魅力的な車がたくさん登場する中

特に作中でマスターの乗る 日産 KPGC10型 スカイライン GT-Rと

アルファロメオ・ジュリア・スプリント GTA、1300GTA にひどく憧れた。





ある晴れた日の学校帰り、友達と学生服のまま高校と自宅の途中にある日産へ寄った。

スカイラインのカタログをもらいに。

ディーラーによっては学生なんかにゃ用はないって態度をとられてしまうが

ここの日産の営業所は違った。

根っからのスポーティーカー好きの営業マン Kさんとの出会い。

気持ちよくカタログをくれ、そして笑顔で話しかけられた。




数年後、彼から BNR32型 スカイラインGT-R を買うことになるとはこのときは思いもしなかったけど。

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #04"

2008.3.17

「 My Gran Turismo #03」


その華やかなスーパーカーブームをよそに

我が家では米が尽きることさえある経済事情であった。

流し台の下から古いスパゲティが出てきて塩で食べてしのいだこともある。

けど貧しさは一度も感じたことなかった。

ただ結局銭がらみの両親の喧嘩にはウンザリすることはあったけど。



タクシーの運転手をしているからと言って父親は決してクルマに詳しいわけでもなく

興味もそれほどないように思えた。

僕が「お金がたっぷりあったら何乗りたいの?」と問うと

「リンカーン・コンチネンタル」とは答えてくれたが。


さて一番身近な車、父の乗る車はこうだった

唯一好きだった中古の日産チェリー。

ケンメリのボンネットをぶった切ったようなスタイルがかわいくて好きだったな。

車に付けたハチトラで小林旭の"自動車ショー歌"を聴くのがたまらなくうれしかった。
(決まって「 勉強セドリック〜 」の部分を父は大きな声で僕にむけて歌うのだが)

その次は中古のトヨタカローラ、

それからはスバルの軽 二代目レックス、三代目レックス、初代ヴィヴィオ、初代プレオ、。

せめてスバルならタミヤのラジコンにもなったレオーネにして欲しかった。

ただ、車が変わるたびキーをこそっと借りては車のシートに何時間も座ってた。

新車のにおいをかぎながら届かない足でアクセルをペタペタ踏んでいた 。

そうそう変わった車に乗ってた友達のお父さんがいた。

真っ白のビートル。

カタチよりも水平対向エンジンの脈打つ音に興味を持つ子供は僕だけだったという。

ウチに遊びに来る父の麻雀仲間にも一人だけ変わった車に乗って来る人がいた。

そのおじさんはいつもハンチングをかぶり小粋な感じがした。

フライングレンガ」

ボルボって名の外車と教えてくれた。


ダルマのセリカに乗ってた春おじちゃんは、ワインレッドの初代チェイサー2 ドアハードトップに乗り換えた

けれど僕はチェイサーには惹かれなかった。(その後のクラウンにも当然、。)

ケンメリに乗ってた親戚のおじさんも出たばかりの430(セドリック)へ乗換、

助手席の僕に430の素晴らしさを熱心に語っていたけれど

僕はケンメリの方が100倍いいと答えていた。



振り返るとちょっと他の人より車が好きだったんだなと思う。

じゃないとビニール車庫の中のレックスに何時間もいれないはずだものね。



そろそろカーライセンスを取りに行き来だす高校生の頃まで時間を進めようか



KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #03"

2008.3.13

連載と書いておきながら更新が遅い! と

一部の KENICHI WEB SHOW ファン (知人) から苦情が入った(笑)

今夜も当時を思い出してみよう

「 My Gran Turismo #02」


小学校入学式の送り迎えで乗せてもらった車は

NISSAN スカイライン ハードトップ2000GT-X

グリルの形状からみて1974年式だ。

僕は物を大切にする子だったので"春おじちゃん"からもらったカタログがある。

ケンとメリーがCMに出演していた、俗にいう「ケンメリ」スカイライン。

残念ながら排ガス規制によってすでに KPGC110型 ケンメリGT-Rの姿は消えていた。

ちなみにケンメリGT-Rのカタログには「ドリフトも自由自在」など、いかした記述まである。

後にスカイラインにハマり歴史を調べて行く中で197台しか作られなかった非運のGT-Rとしてより希少性を感じた。

生まれたときに作られていたスカイライン、ケンイチと言う名前、

今でも一番好きなモデルがケンメリなのはその美しいスタイルだけじゃない理由がそれだ。

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当時世の中はイタリアン・スーパーカーブームのまっただ中

テレビでは「スーパーカークイズ」といったスーパーカー番組が放送され

近所の商店ではスーパーカーの生写真がビニールのアルバムに並べられて売られていた。

子供雑誌にもスーパーカーがいつも大きく載っていた。

スーパーカーカードを集めたり、

スーパーカー消しゴムを集めて友達と飛ばして遊んだ。

ただでさえ車好きの僕は大いに魅了された。

フェラーリ・ベルリネッタボクサー、ディノ、デイトナ、

ランボルギーニ・ミウラ、イオタ、ウラッコ、カウンタタック、

ランチア・ストラトス、ラリー、

マセラッティ・ボーラ、メラク、

アルファロメオ・モントリオール、

イタリア車以外も

ポルシェ911、BMW 2002ターボ(子供の目にはこれだけ普通の車に見えた) デ・トマソ・パンテーラ、ロータス・ヨーロッパ、

国産も童夢ゼロがあった。

同世代の人たちの頭の中、スーバーカーの記憶はこの時代に植え付けられた。

高度経済成長のまっただ中、

目まぐるしく流れるスピードの象徴だったのかもしれない

あの時代の流線型のボディ、想像を超えた形状はもう作れない

情熱と可能性の頂点をイタリアの車に見つけていた。


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今回は1975〜1977年頃の話でした

KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #02"

2008.3.11

短期間でいろいろなことがあってヘビーでした。

その大きな要因のひとつである事柄について

今日から書いていきたいと思います。



「 My Gran Turismo #01」


僕が生まれたのは 1971年

3歳になった僕は

大きな通り沿いにあった祖父の家の二階の窓から外ばかり眺めていた。


「コロナ、チェリー、、カローラ、デボネア、、」

右へ左へ通りすぎてゆく車を眺め

車種名をただ口にしていた。

向かいには出来たばかりのハンバーガー屋があって

たまにねだっては母に「駄目」と言われた。

そうしたらまた二階へ行き

「サニー、セリカ、117クーペ、スカイライン、、」

毎日、毎日くりかえし。

母の弟の "春おじちゃん"は

初代セリカの2ドアハードトップに乗っていた。

初めての「GT」との接触。

その車のスタイルが大好きで、大好きで

乗せてもらうたび気持ちが高揚したのを覚えている。

僕の「あのくるまのなまえはなに?」の連続に

面倒くさがらずにそのたび教えてくれたのも"春おじちゃん"だった。


時は流れ、小学校入学式

はじめての小学校、

はじめて見る友達の顔、

なんだかわからないカチっとした服を着せられ頭には学帽

緊張する瞬間であった。

けど、僕が気になって仕方がなかったのは

小学校までの送り迎えをしてくれた身内の運転する車

白い2ドアクーペ

スカイライン 2000GT だった。




つづく




KENICHI KIKUCHI " My Gran Turismo #01"

2008.3.6

去年8月にオーダーしていたストラップが届いた!

渋い!! アコースティックギターヘッドにも、ネックヒールのストラップピンにも

エンドピンにもエンドピンジャックにも対応出来るスペシャル仕様

このカービングの美しさったらない!

偶然見つけたショップさんにも関わらず、僕の質問や無理難題の注文にも快くおつきあいくれた

クラフトショップ FatCatさんに感謝!!


(すいません、うまくリンクが飛ばないのでいったんリンクページへ飛んでください)

FatCatさんのサイトにはこれまでの作品の写真があってどれも素晴らしいです

興味のある方は

早めにご相談の上予約したほうがいいです

プレゼント用のオーダーも多いみたいで、

是非プレゼントもお待ちしてます(笑)

KENICHI KIKUCHI "Amazing Strap"

2008.3.5

この間、友達のJJと ビデオチャットをしながら

「そういやこんな未完曲あるんだけど、」と

中途半端にしてた曲を2つほど歌った

「完成させろ!」

本気で怒鳴られた。

どうもしっくりこない曲は埋もれてしまうのだけれど

友の言うことを聞こう

仕上げよう

そして人前で歌ってみよう

KENICHI KIKUCHI "unknown songs"

2008.3.4

昨夜は先輩が休暇だったのでウチに泊まりに来た

久々に TVゲーム で盛り上がった

Wii スポーツ、ボウリングは惨敗

ゴルフは9ホール最後の一打まで同点の末勝利

気付けば朝方


そしてなんとなく筋肉痛の昼下がり

KENICHI KIKUCHI "muscular pain"

2008.3.2

去年末の身内のフォトコンテストで優勝した清美さん(母)に

僕からの賞品としてフォト・ブックをプレゼントした。

ところどころに僕の写真も挿入したコラボレート作品に仕上げた。

http://gallery.mac.com/ken_k#100033

いつもの編集後記

さてさて感想が楽しみ

KENICHI KIKUCHI "Honeycomb"