1998.4.30

どうしても見たくないものがある、。

それは、昔書いたもの、。

小学校の頃、クラスで将来の夢を寄せて書いた色紙みたいなもの。

そこには、自己を見つめることもなくただ生きてるだけの僕がいる。

クラスの友達は、そらたいそうな夢の形を書いてたっけ、。

僕はと言えば、家の近くの友達に、

"KENちゃんも、一緒になろうよ" の一言で、

友達と同じこと書いてたっけな。

たしか、僕の暮らしてた町の当時栄えてた地場産業の作業員だったか、。

友達は、お父さんがそこに居たから書いたのか。

僕に革命がおこる前のこと、。

でも、そいつだけは、見たくない。

どっちつかずよりも、

"夢" が何処にもありゃしない!!

(その友達は、そこに書いたとおりに今、働いてるのでありました。)

KENICHI KIKUCHI "見たくない"

1998.4.28

女性は、必ず咲くじゃないですか。

っていきなり何を言っているのかって感じなんですけれど、

ある季節をむかえると放っておいてもきれいになるじゃないですか、

こう、なんて言うか、素敵にね。

だまっていても、みんな、。

で、歳をとると、おばさんって言われることになるんだけれど、

まぁ男も、いいおやじになるんですけれどね、

男は、てめえを磨かなければ、咲けないんだなぁ、

一生咲かずにしおれてしまう人もたくさんいる。

男が咲くって事は大変だ。

でも咲けばその花は永く輝くんだよね。

ちょっと語弊があるかな、今日のつぶやきは、。(笑)

KENICHI KIKUCHI "blossom!"

1998.4.26

そして帰ってきました、。

やっぱり、大阪、京都は暑かった、。それにあの湿度、。

東京も暑かったなぁ、でも夜は寒かった、と気温を書いても仕方ないですね。

で、例のごとくむちゃくちゃなスケジュールに今回は切れて、

夜のTOKYO、車走らせてきました、。

深夜3時頃は、御台場にいたなぁ。 そしてYOKOHAMA BAYBRIDGE、

4時半頃には大黒埠頭パーキングでエネルギッシュはTeen達にまぎれてました、。

いやぁ、いろんな顔したTOKYOをもっと見たい、

ゆっくりやっぱり来たい!

いろいろ感じたなぁ、。

どうかたちにしようか?

KENICHI KIKUCHI "TOKYO"

1998.4.23

明日からまた京都です。

しかし、例のごとく時間がみっちり、、。

帰りは東京を通って羽田から帰る予定であります。

もう暑いんだろうなぁ、関西も関東も、。

出来れば、このページを通じて知り合ったいかしたみなさんに会いたいんだけどなぁ。

ゆっくりと行きたいなぁ。

素敵なギターショップも教えてもらったのになぁ、。

しかし、京都の夏はすごい湿度ですよね、ギターの管理も大変そうだなぁ、。

そうそう、どこかに行くと僕は歌をたくさん書きます、

今回も何か見つけて帰りたいなと思ってます。

KENICHI KIKUCHI "飛行機の中で書いたり"

1998.4.22

よく、生まれ故郷でずっと暮らしていると、

ここが、一番良く、住み心地も最高だと思ってしまう。

確かに、最高のところもあるのでしょうが、大抵は外を知らないだけであったりする。

で、いざ違う土地で暮らし始めると冷静に見えてきたりする。

そして、大きな街も実際小さく見えてくるんだ。

で、雑踏の中で自分がわからなくなったり、ね。

故郷が恋しくなることもなくなり、

自分の居場所はどこかと真剣に捜しまわるんだ。

KENICHI KIKUCHI "This Town?"

1998.4.20

そうなんだよね、そうくん、。

あんたぁやっぱり、いかしてるわ。  まじで。

、。

昨日ここで、書いた内容に対して、"あたりまえの男" から言葉をもらった。

君は、難しい事をいともたやすく語り、

とても簡単な事を、しっかりと考え抜く、。

結局ね、その自然体、本気さ、って奴が、

まじになればなるほどに形が変わってゆくのか、、。

その変化と怒りは大概は逃げ道だったり、、

音楽が、音を楽しむものじゃなくなったらお終いだね。

どうもありがとう、

少し初期化出来たよ。

ほんと、。

KENICHI KIKUCHI "http://club.infopepper.or.jp/~agassi/"

1998.4.19

いや、昨夜のLIVE、また荒削りなものになってしまった。

どうも力みすぎるのか、、。

冷静に攻め立てていこうとおもったのですがね。

結局、ギターの弦三本が切れましたまた、。(^_^;)

うーん、。

それはそうと、

これからがわからなくなってきた。

同じことはもう出来ないぞ。

KENICHI KIKUCHI "次に何をしよう"

1998.4.17

ちょいと、いろいろありまして

明日のLIVEはひとりでやります。

考えてみりゃ毎週土曜日にひとりで演ってたんだから、。

でも、相棒と一緒にPLAYしてると、ちょいと不安になってしまった。

でもね、興奮してるんですよ実は、。

だってひとりの責任のLIVE、

どうにでもなるし、どうしようもなくもなる。

でもね、

明日は深いものにするよ!

KENICHI KIKUCHI "98.4.18 Solo"

1998.4.13

次の土曜の夜は久しぶりのLIVEだ。

この最近のいらだち、悲しみ、すべて積み込んで挑みます。

いつの頃か楽しい、気持ちがいいってだけの音楽ばかりです、

本当はみんなどうしていいかわからないほど苦しんでいるのに、、

簡単な答え程、見つからないもの、、。

恋でも、家庭でも、仕事、社会でも、、

だましあいになってはおしまいだ。

すこしでもあたりまえの世界を取り戻さなければね。

KENICHI KIKUCHI "recover oneself"

1998.4.8

僕の年上の相棒ギター抱えてやってくる。

そして、いつも怒ってる、僕も怒ってる、。

とんでもないNEWSが毎日飛び込んでくる、その度、腹が立つ。

そのまま僕らはギターを吠えさせる。

ギターも怒ってる、。 ときには泣きまくる、。

僕も吠えるし、涙も流す。

それはうねりになる、。

それは見つからない答えをたまに連れてくる。

でも

何が出来ると言うのか?

わからないけれど、、、。

KENIHCHI KIKUCHI "いかり"

1998.4.6

NET上で知り合った三重県のミュージシャン"そうくん"

へぇ、友部正人さんの前座つとめるんだ!

すごいねぇ、情熱とかって通じるんだね。

数々のミュージシャンに影響を与えた彼と同じステージにたてるなんて素敵だよ。

そうそう、後輩も友部さんが好きで、ステージ後に話しをする機会があったのらしく聞いた話を、。

友部さんの息子さんは、長渕さんの大ファンらしくて、その長渕さんは、友部さんの"一本道"って歌に衝撃を受けてってのが有名な話し。

そこで、友部さんが、息子さんをステージ後(STAY DREAM TOUR)の楽屋に連れていくことになったそうで、。 長渕さんも、その友部さんに会ったことはそれまでなかったらしく、素晴らしい初対面になると思いきや、長渕さんは、彼に会うことを拒否したといいます。

彼にとって、憧れだった人に会うことは、僕らが思っている以上に重大な事だったのでしょうか。

彼は、本当に純情で、真剣に生きてるんだと、思います。

僕なら、抱きついてしまいますね、(笑)。

KENICHI KIKUCHI "一本道"

1998.4.5

昨日の雨で街中の雪達がすぺて消えました、。

なぜ、雨? とよく考えると、昼間に半年振りに愛車を洗ってあげたからだったようです。(笑)

そのくらい放っておいた車を洗っていると、憶えのない傷達にたくさん出会って泣きたくなります。

Rock&Roll にピカピカな車はつきもの (笑)、と思っている僕は、

どうにもこの傷だらけの愛車を見るとせつなくなります。

いつもの愛用ギターの傷達は、誇らしく見えるのですがね。

KENICHI KIKUCHI "HAVE A SCAR"

1998.4.1

みなさん今日から新しく期を新たにして忙しくしているのですね。

僕は忙しくなればなる程に、ナチュラルハイになります。(笑)

多分みなさんもそうでしょう?

いや、しかめっ面して、怒ってばかりいる人もいるかな?

例えば、"カクテル" って映画で、鬼のように入ったオーダーを音楽にノリながら次から次にこなしてゆく感じ、。

みんな笑いながらやっつけてしまいましょう!

本当の自分じゃない仕事をこなすにはそれが一番!?

KENICHI KIKUCHI "ただの収入源ならラフィン"