1997.8.31

今日は先輩の子供の幼稚園の運動会で苫小牧まで、。

僕は子供が好きなのです、だから子供も僕の事すぐ気に入ってくれる、。

たぶん、いつも近くにいると違うのだろうけれど、、(笑)

運動場には自然があふれていて、赤トンボやら、アゲハやら、飛んで。

僕はもういなくなったと思っていました、それらの昆虫達を。

ただ単に目を向けていなかっただけなのに、。

他にも目を向けなくなったものってあるよね、

ねぇ、  僕に言っているんだよ、 ねぇ?

KENICHI KIKUCHI "Kids eye"

1997.8.30

昨晩、すすきのの酒場でプレイしてました、。

年輩の方が多かったのですが、僕の曲が好評で気分が良かったです。

22歳の時のこの曲、僕を紹介する意味的な一曲

ラフに仕上げたのですが、インパクトあるみたい、、

出来たものを自分が気に入るか、聴いてくれた人が気に入るか、

売れるか、売れないか、

反して自分の好きなようにばかりと言うのもちょっと、

って。

少し変わったかな 僕。

KENICHI KIKUCHI "SEEDS  僕は成長を繰り返す種"

1997.8.27

なぜ、男はたった一人の女性を愛せないのだろう、。

僕のまわりはそんなのばかり、。

おまけに僕に相談してくるからたまったものじゃない、。

妻、子供、もしくは彼女、

また、淋しさまぎらわすその女、

やれ、本気だ、それとこれとは別だと、。

全ての大切な人に恥をかかせ続ける。

だから僕に話しをしないでほしい、

管轄は精神科の医者なのだから。

KENICHI KIKUCHI "好いただの惚れただの、"

1997.8.26

僕の住んでいるアパートから地下鉄駅まで歩いて10分です、。

いつもそこから街へ仕事に出かけます、ちょいと寝坊した時は急ぎ足で、

心地の良い光があふれる朝は少しゆっくりと歩いて、、。

この空間と帰りの夜道の空間、これが僕には大切な時間です。

いろいろ考えて歩くのですが、曲もこの空間で生まれる事が多いのです、。

詞は布団に入ってから書きます。

この布団に入ってからの一時もとても大切です。

矛盾やら怒りやら、不自由さやらは、昼間の現実で感じます。

とても耐え難いのですが、僕に火をつけてくれます、社会は。

だから、いくらでも書けます。

KENICHI KIKUCHI "創意"

1997.8.24

僕のHPの中で一番、BRUCE SPRINGSTEEN PAGE への反響が多いです。

先日、"Back in your arms again" を一生懸命訳してくれた方がいます。

まさに、Bruceならではの言葉で、。

それにプラスして僕が歌いやすく訳してくれたバージョンも送ってくれました。

これがまた、僕の言葉なのですよ、。

本当に感謝します。

日本のブルース・ファンもまだまだ熱い!

どうにかメーリング・リストを作りたいですね。

KENICHI KIKUCHI "Back in your arms again"

1997.8.23

最近、はっきりしてきた、。

何がって、何を歌いたいのか、何を本当に言いたいのか、。

あたりまえの事だけれど、。

具体化していくのは簡単ではなかった、。

だけれど形になって来た。

よし、こいつで勝負してやる!

KENICHI KIKUCHI "具現化"

1997.8.20

僕は男のくせによく泣く、。

と言うのも、感動に弱いのです、、昔から映画を見て泣いたり、歌を聴いて泣いたり、。

ブルースの"Walk like a man"の歌詞を読み上げているうちに泣いた事もありました。

本当の感動に弱いのです。

そういえば、昔、"WE ARE THE WORLD" のレコーディグで集まったアメリカのミュージシャン達がアフリカの現状を話す現地の人の言葉を聴いてボロボロ泣いてました。  向こうのミュージシャンは本当に感受性が強いのですね そしてそれがそのまま力となり作品に仕上がる!

巧みにそういったものを操作する馬鹿な連中がほんと日本には多いですね。

だって涙する歌って最近ないもの、。

ただ楽しけりゃ、ただ気持ちよけりゃって、、。

はい 感情のない国民の出来上がり。

KENICHI KIKUCHI "今日は毒を"

1997.8.18

今日は東京で頑張ってるミュージシャンの卵と会った、。

彼は10月から札幌に来て一緒にPLAYする予定、。

練習をする環境的が悪いのか、ギターもボーカルも抑え気味の印象

これからはもっと元気良くやろうぜ、。

僕の部屋は大丈夫だから、、って大丈夫かなぁ、今のところ苦情ゼロだけど。

建物の構造的に実際、響かないんですよ、。まさに僕のすみか。

でも、実家の時もそうだけど、プロになったら、隣近所には、菓子折でも

もって行こう、、、。

あれっ何考えてるのか僕は、曲つくろっ曲、

そのプロってやつになるために。

KENICHI KIKUCHI "卵ちゃん"

1997.8.16

最近、眠れず朝まで起きている事がある、。

うーん、もし、眠っていて次の日目覚めた時、まわりが、ものすごく変化していたら、、。

そんな事ばかり考えていると、明日に延ばせる事など何もなくなる、。

うーん、てれてれアルコールをあおっているわけではないけれど、

眠れない、。

ひらめきと、直感がすぐそこまで来ている状態、、

それでも、なかなかはっきりしてこない状態、、。

ねぇ、眠れないでしょ。

KENICHI KIKUCHI "ネムレナイ"

1997.8.15

12日の夜から、故郷の釧路へ車を走らせ帰ってました、。

札幌から5時間くらいの所に釧路があります、。

何もない街です、いつも霧に覆われていて、寒い街、。

それでも、故郷はいいものです、

この街を出る前までは、この街程いいところはないと思っていた。

友達、恋人、親、懐かしい場所、母校、、、。

田舎根性と言うか、出るのがこわかったのか、。

でも今わかる、

いろいろな土地で暮らすのはいいものだ、

そして、Net上も同じ、いろいろな人と出会うとドキドキする。

"Hello 僕は生きてます"

KENICHI KIKUCHI "やぁ"

1997.8.11

WWWを使って音楽活動をアピールするようになってから、

日本各地で頑張っている仲間達と知り合う事が多い、。

僕の住んでいる街は札幌だけど、おかげでいろいろな街の音楽シーンが伝わる、

そして、一生懸命LIVEを繰り返している明日のミュージシヤン達、。

ストリートで活躍する人にBARでPLAYする人、。

もし、縁があったのなら

いつか、どこかで一緒にPLAYできるのかなって、。

そう思ったのです。

僕もこの街を出るときが来るし。

KENICHI KIKUCHI "someday"

1997.8.8

ファンとしては、欠かさず見ている、長渕 剛さんのドラマ"ボディガード"、。

かかりました、挿入歌、ブルースの"The River" おもわず、にんまりしました。

以前も長渕 剛さん主演でNHKの一本もののドラマ"うさぎの休日"で"Tougher than the Rest"と"Walk Like A Man"が、かかりました。

まぁ、剛さんと、ブルースは友達ですからね、。

デトロイトのショーで"My Japanese Freind TSUYOSHI NAGABUCHI !"

ってブルースに紹介されるくらいですもの。

おまけに、ロイ教授は"しゃぼん玉"でPIANO弾くし、すぐわかりましたよ、。

初めて聴いた時、。

あぁ仲間に入りたい、。

KENICHI KIKUCHI "友達"

1997.8.7

僕と新川さんとの2回目のLIVEが無事終わった、いや無事ではないのだ、。

予定時間をおおいにオーバーし(40分も!)、店の方、PAをやって頂いた方、

全てに迷惑をかけてしまいました、。

申し訳ございませんでした。

ルールをきちんと守らなかった未熟さといい加減さに深く反省してます。

叱って頂いたマスター、感謝してます。

最後まで気持ちよくプレイヤーには最高の音を出し続けてくれて、、。

あぁ、、なさけないです、ホント、。

KENICHI KIKUCHI "謝罪"

1997.8.4

昨晩、入手したブルース・スプリングスティーンの80年のLIVE VIDEOを見た。

、、、。

あまりにも衝撃的だった、今までも"Darkness、""Born In The U.S.A"以降の

LIVE映像は見たことがありましたが、"The River" のフルのLIVEを見たのは

初めてでした、、、。

これが、伝説になっているLIVEだったのですね、、、。

彼は凄すぎです、。

明後日のLIVEにどう影響するのでしょうか、この衝撃が、、。

KENICHI KIKUCHI "どう凄いの?って"

1997.8.3

この2、3週間の札幌はひどい、。

何がって、暑いのです、夏だからってのがありますけど、

今回は湿度がものすごく高いのです、、。

ギター弾きにとって最悪な"湿気"、恐ろしい程音色が変化します。

そして、ギターにダメージを与える事になってしまいます、。

札幌に長年住んでいる人に聞くも、"こんなしめっぽく暑いのは初めて"

と言う、。

だれか、エアコンか除湿器下さい。

3日後のLIVEの日はからっと乾いた一日になりますように。

KENICHI KIKUCHI "ジメジメ"