1997.4.27

故郷のLIVE喫茶

"えいが館"

LAST LIVE

終了、、。

レポートページに一言書きました、、。下の文字リンクしてます

えいが館LAST LIVE

1997.4.22

突然だけど、僕は、酒もタバコも、にがてなのです。

まぁ、幼い頃から、父ちゃんが、Heavyなほど愛飲していたものなのだけれど。

だから(?)、かなり早い頃から、やらされていた(笑)

そのおかげで、今は飲まない(笑)

いや、酒をのまなきゃ、なんか本当の事を言わなくなってゆくダチに、さみしさ感じただけ、、。   酒を飲み過ぎて愚痴るダチにいらだちを感じてるだけ、、。

うわぁ、くだらない社会の常識にやつらは、むしばまれているのか!

たのむぜ、なぁ 夢はどうしたんだい?

KENICHI KIKUCHI "アルコールって?"

1997.4.20

LIVEはすごいもの、やる側としてもみる側としても、。

毎週LIVEをやっていたのだけれど、確かに奇跡だとか、言葉にしがたい秘密があった。  何がどうなったじゃなく、全身からあふれ出す何かがあるんだ。

まぁ、たいがいが反省と挫折ばかりだったのだけれど、確かに何かがあった。

そして、4年がたち、来週そこでの最後のステージに立つ。

友達のJJと一緒にそこでLIVEをする、そう"なまもの"をする。

自分のテンションとひらめきと偶然性。

全てをここで、出し切るつもりです。

これる方はきてみて下さい、僕の全てがそこにあります。

KENICHI KIKUCHI "LIVE"

1997.4.17

いつ聴いても、変わらぬ気持ちのままで聴ける一曲がある、。

長渕 剛の "交差点" という曲だ。

始めて聴いた、中学生の頃、別れをえがいたこの曲を自分がそのような恋愛なんてしたことがなかったのに、無性にせつなくなった。 ギターを始めてもった時も、一生懸命コピーした時も、純粋な歌詞にせつなくなってた。

そして、自分もいくつかの恋をして、本当のせつなさを知ってしまった時も、この曲は純粋な叫びであった、。

今、僕が、育った故郷での LAST LIVE の為に練習をしています、。

いままで、そこではこの曲は演奏した事がありませんでした、はんぱでは演奏したくなかったのです。  そして今、とても歌いたいのです。

"いかないで、僕のそばから" と。

幾つもの、奇蹟を放った、喫茶店でのLIVE SHOWに対して。

KENICHI KIKUCHI "交差点"

1997.4.15

僕のこのHomePageのBRUCE PAGEにメールが届いた。

今までも、素敵なブルース・ファン達からメールを頂き、交流を続けているけど、  今回届いたメールは始めての女性だった。

ふと、なぜ今まで女性のブルース・スプリングスティーン・ファンに出会う事がなかったのか、考えた。  確かに"Born in the U.S.A"の頃の様に世界中にブルース・スプリングスティーン旋風が吹き荒れているわけではないけど、日本でブルース・スプリングスティーンを取り上げる事が少なくなったのではと思う。

今回の来日も地味だった気がするし、雑誌"ロッキン・オン"等でも、特集にさえならなかった。(ソロだったからか、いや、ソロだというのに、)

メールを頂いた女性は96年に流れたTV(ニュース・ステーション)で知ったという。  NEWS番組、衛生放送以外でも、なぜ昔みたいに特集を組まないのだろう? ファンが減っているのかなぁ、。

話しは戻して、ブルースの歌は女性を神秘的にとらえ大切にした曲達が多いので、もっとたくさんの日本人女性に聞いてもらいたいなぁと思います。 "SECRET GARDEN"とか"TUNNEL OF LOVE"のアルバムとか、本当に素晴しい!

KENICHI KIKUCHI "BRUCE!"

1997.4.13

5年かそれ以上ぶりに、同志にあった、。

17歳の時、僕はビリヤード場でバイトしていた時に知り合った人だ。

その頃から、僕はミュージシャン、その彼女はライター、作詞家を目指していたんだ。   それから、10年近く時がたっても、自分の夢を追いかけているのは、僕のまわりでは、彼女だけになっていた。   昔一緒にRockしたギター少年達は、みんな普通になっていった、。   そして、BARで彼女に会いいろいろ話した、 互いに厳しい現実との関わり方については利口になりつつあったけど、たしかに、夢は死んでいなかった、スタイルは変えていなかった、。    僕は時折、あたりを見回し、人並の幸せにすがりつきたくなる時があるのだけれど、どう考えても出来ないんだ、、。

多感な十代に突如襲った Rock'N ROll Music にとりつかれたまま、そう SPRINGSTEENのLIVEをまのあたりし、"THUNDER ROAD"のあの感動のまま。

そして、その歌詞のメッセージ、、僕も同じ役目がしたくやり続けているんだ。

あまっちょろいね、と人に笑われようがね。

その先輩も頑張ってるんだから僕も負けないよ。

KENICHI KIKUCHI "Aftar a long time!"

1997.4.12

突然だけど、僕には兄弟がいない。

だけど、親戚で今年、高校卒業をした奴がいるのだが、そいつが弟のような感じだった、。

まぁ、いろいろ問題はその時期つきものなのだけど、髪を茶色(白に近い、)に全て染め、無職だ。

何をしたい? と聞いても、 "別にない"  と、。

ギター・アンプを貸してやった時期もあったけど、音楽はやめたらしい、

親も別の土地へ引っ越して奴は一人暮らし、やっぱり心配だ。

やりたいものが、一つでもあれば、心配ないのだが、。

KENICHI KIKUCHI "やりたい事を見つけろ"

1997.4.6

この土日で、故郷の釧路へ戻った、。

そして、リトル・ジョンと一緒に、あの僕の青春一杯のLIVE喫茶 "映画館"に行った。

ママさんと喧嘩して飛び出してから、4年もたっていた、。

扉を開ける瞬間、LIVEステージに上がるよりも緊張した、。

その緊張はおおいに裏切り、ママさんは笑顔で向かえてくれた。

"帰ってきた!"

そう僕はLIVEってものを身につけたこのHome Stageに!

そして、いつもの19:30からSTAGEが始まった 今日はツインのオベーションを聞かせる年輩の人達。

何も変わらぬこの感じ、、

しかし、ここでのLIVEは今月で終了すると聞いた、。

前から少しは聞いていたけど、偶然戻ったその月の終わりが最後とは、、。

ママさんから、LAST LIVE出演を言われる、。

長い"映画"が終わろうとしている、。

僕もその映画のMAIN CASTの一人として参加しようと思う、。

KENICHI KIKUCHI "BACK TO 映画館"

1997.4.2

あっそういえば、昨日誰にも嘘をつかなかったなぁ、、。

KENICHI KIKUCHI "4/1"

1997.4.1

僕の一番ダチの"JJ"ことリトル・ジョン(わけわからん)は、作詞活動を続けている、。

目立った行動はあまりとらないが、気に入ったのが書き上がるときまってやってくる、

バーボン片手に歩いてか、自転車に乗ってやってくる。

僕とは違う描写で、書き上げるのだけど、言いたい事は似ているようだ。

ヤツは毎月何日になると、公募ガイドを買いに書店へ出向く、 そして、それらしい応募に気に入った詞を原稿用紙にのせて、オーディションを受ける。

まぁ、ずばぬけた賞に引っかかった事はないけど、最近の話しにはむかついた。

まぁ、賞はとれなくともコメントは頂けるようで、その内容が

"君の詞は全然、今風じゃない、もっと小室哲哉のような詞を書いて送るように" と、、。

何も言う事がなくなくなってしまう程あきれた、、。

そんな安っぽい人材発掘作業だったようで応募する側としてはあきれてしまうだろう、

でも、どこらでも、似たような事は起こっているのだろうが、人のまねを薦め、流行りだけに目をむけ、

新しい人達を見つけられない盲目の大人達、、。

なさけないですね、。

リトル・ジョンと僕に光るものがあったとしても、ないとしても、、。

KENICHI KIKUCHI "FUCK 流行&盲目の大人達"