storia #21 「 ソウル・ドライバー 」

相変わらずスカイラインに乗り込むたび惚れなおすほど相性が良かった。

7代目スカイラインの最強モデルが当時盛り上がっていた
グループAレースへ出場するためのホモローゲーションモデル
800台限定のGTS-Rだった。

GTS-R の馬力は210ps

エンジンを載せ変えライトチューニングを施した僕のGTSをシャシーダイナモで測定すると

241psあった。

当時から運転はゼロヨンのような直線よりも
コーナリングに魅力を感じていた僕には十分なパワーであった。

いやコーナーでパワーバンドを保持しアクセルを開け続けるには過剰なパワーだった。




そう車の運転は職場で借りたレンタカーでとことん練習した

絶対的パワーが無くアクセルをべた踏み出来る車、
パワーバンドをキープし続けられる車は楽しい。

自分のレベルが低いからそのくらいがちょうど良かった。

北海道と言う土地は冬に雪が積もるからそれもいい練習になった。
低いスピードで車の挙動を掴むことが出来きた。



馴染みのレンタカー屋は毎回いろいろな車種を貸してくれた。

FF、FR、4WD、駆動方式の違いでそれぞれの挙動の違いを知るために
仕事が終わってからも何時間も走り続けた。

峠を走り、広い駐車場でサイドブレーキを引きグリップを失ったときの挙動変化を体感した。

あの頃の僕と友達のJJは他の人に言わせたらあきれたに違いない。

一晩中走り回って気がついたら車の中で寝ていて朝日で目覚める日々。

あるいは、突然気が向いて釧路から札幌の友達のアパートへ300km以上を走らせたり。

とにかくGを感じ続けたかった

加速G、コーナリングの横方向のG

焼ける鉄のニオイを嗅いでいたかった

何故だろう、そこに何があったのだろう?

ライバルがいてそいつより速く走りたい目標があったわけでもない


ただ自分自身

もっと満足感を得たいだけだった


KENICHI KIKUCHI "la mia GT #21"

storia #22 「バート レイノルズ」

アメ車にはアメ車の魅力がある。

僕は小学生の頃バート・レイノルズが大好きだった。

「トランザム7000」という映画を何度観たかわからない

カウボーイハットに髭、そしてセクシーな笑顔

はちゃめちゃな設定、カントリーミュージック、美女

そしてブルース スプリングスティーンの歌にも出てくるブラック・トランザム!

V8のデロデロと響くエンジン音

ロングノーズ、太いタイヤ、デカイ排気量、デカイ トルク

そう、

アメ車にはアメ車の魅力がある。



あるときZ28 カマロを見にディラーへ出向いた。

営業マンが近寄る。

「 カマロいいでしょー! 速いですよ~ 」


自信たっぷりに語る。

確かにこのカマロの睨んだツラはたまらない。

僕がスカイラインのスタイルで好きなのは睨んだツラにある。
6代目DR30型後期のツラなんて最強だ。

それに近いものがこの3代目カマロにはある。
カクカクしたボディもたまらない。

営業マンと話が弾んでくると
「試しに一週間今乗っている車と交換してみて下さいよ! 」という話になった。

楽しそうなので了解した。

後日デロデロと音を立ててカマロに乗り営業マンがやってきた。

そして僕のGTSのキーを渡した。

GTSの癖を説明したにも関わらず
彼は強化クラッチに手こずり何度もスタートを失敗しながらも運転して帰った。


アメ車初体験だ。

アメリカの男たちが運転免許を手に入れてはじめに買う

入門スポーツカー、カマロだ。

さすがに何から何まで国産と勝手が違う

左ハンドルにはすぐ慣れる。
ウインカーの位置もすぐ慣れる。
ペダルもオートマチックミッションなのでなんともない。

その他の操作系、キーシリンダー、ラジオ、アンテナの場所、
いちいち違う。

が、雰囲気があって良かった。

走り出すとV8 3100cc OHV エンジンでもトルクがすごい

無神経にアクセルを踏むとホイールスピン。

こりゃホットモデルのZ28や IROC-Zはとんでもないパワーだろうな



楽しい。

足回りはまるでダメ。

そもそもそんな車じゃない。

けれどデカイボディに慣れてくると

上りのワインディングでもお尻を振り回しながら駆け上がれた。

地元の「スカイランドの坂」と呼んでた連続コーナーを
全てケツを滑らせて上ったりして楽しかった。

GTSに乗っているといろいろ気になることが常にあるのも事実

足回りのセッティングをもう少し煮詰めて、、

タービンをTO4Eに変更して過給圧を、、など

もっと速くしたいとかいつもピカピカにしていたいとか、

でも

コイツに乗っていると細かいことはどうでも良くなる

自然と気持ちも大らかになる

「OK、OK! なんでもアリよ、オレにまかせな」って


やっぱり、アメ車にはアメ車の魅力があった!



一週間後、営業マンが僕の車に乗りやってきた。


熱烈にカマロを売り込んで一気に契約まで話をすすめる瞬間だ。


けれど、営業マンはGTSを降りてあきらめ顔で僕にこう言った


「すごいですね、このクルマ、。」

KENICHI KIKUCHI "la mia GT #22"

storia #23 「ハートビート」

北海道に暮らす人以外から見た北海道ってどんなだろう?

「ホッカイドウはデッカイドウ」などと言い出すのだろうか。

確かにそうかもしれない。

少し街から離れると貸切の道などすぐに見つかる。

とにかくそんな道が好きだった。



会社で借りる様々なレンタカーでアクセルをフロアまでベタッと踏みつけ

ブレーキはつま先で奥まで踏み込んだ。

やわな剛性の車はコーナリングでボディが歪むのがわかったし

ドアが閉まらなくなった車もあった

エンジンブレーキを駆使してもブレーキがフェードした。

これが一般車ってやつだ。


そんな中、発表されたばかりの2代目インテグラを借りたときは車の出来の良さに驚いた。

「 FFはえー! 」

峠が舞台なら愛車のスカイラインでは追いつけないなと感じた。

FFのアンダーステアで外側へほっぽり出される感覚が無かった。

ノーズがインへインへ向いてくれる

「こりゃいいや」

そしてホンダ・ビートがレンタカーでまわってきた。

760kgのボディ、656cc 64馬力をミッドシップ・レイアウト

エスロクの現代版か小型NSXかと興味のある車だった。


室内灯がないだのエンジン音がうるさいだのはどうでもいい

頭の後ろにあるエンジンのピーク・パワーが8100回転だもの当然だ

走りが凄かった!

所詮140kmほどしか出ないにしても

もともとMR、ミッドシップ・レイアウトの車に乗るのがはじめてだったからか

ほぼどんなコーナーもノーブレーキ、アクセルオンで曲がれた。

自分の能力を超えた走りに挑戦しても尽くクリアしてくれた!

驚きだ!

自分の能力を車が上回っていた

車の前後重量バランスがもたらす効果はこうまでも限界を高めるのか!

実験をしてみた。

真夜中の釧路から阿寒を抜け北見へ行くコース

すべてアクセルベタ踏みでビートを走らせた。

タイトなコーナングは多いのだけれど、

スピンしたのはたった一カ所だけ。

阿寒湖畔を超えた橋の鉄の継ぎ目があるコーナリング部分でだけだ。

が、それは死ぬかと思った経験であった

ビートの限界は突然に来てアクセルコントロールも

カウンター当てるどころの話しでもなかったんだ。


けどボディがエスロク、エスハチみたいだったら1台買っていたかもしれない

それほどに楽しめてピッタリ来る車だった






そうそう、写真に一緒に写る友達の赤ちゃんはもう高校2年生!

時の流れる速さにはどんなGTカーでもかなわないね


KENICHI KIKUCHI "la mia GT #23"

storia #24 「 レーシング・イン・ザ・ストリート 」

僕と友達の"JJ"とチームを作った。

ベストライン・トレース & ドリフトを掲げて

チーム名は「Born to Run」

車の中でヘビーローテーションされていた

Bruce Springsteen の1975年の3rdアルバムのタイトルだ。

このアルバムと

4th アルバム「Darkness On The Edge Of Town」 は

いつも爆音で聴きまくっていた

そう「約束の地」を信じている!




チームジャンバーのデザインは僕が担当した

メンバーは僕とJJのスカイライン2台、ダチのシビック

ハコスカGT-RのJJの店の店長も笑いながら参加

それに当時つきあっていた彼女のCR-X

JJの彼女のカローラFXの7人


僕らは馴染みのショップ「LAND USA」で

オリジナルジャンバーをツケで注文した。

カリカリに走ってたのは僕とJJと店長だけ。

だから実態はただのツーリング仲間だ。

だけれど仕上がった自分たちのチームジャンバーを着て

ただ走り回るだけで良い気分になった。

ジャンバーを欲しがるコもいて足りなくなったっけ



あいかわらず僕とJJはクレイジーだった

そしてJJのRSターボはよくガードレールに激しいキスをした

僕らが今生きているのが不思議なくらいだ。


どちらかと言うとJJの方がクレイジーさは上だ

僕は怖さを理解しているつもりでいつも寸前でセーブした

JJはそれを克服することばかり考えていたのであろう

RSターボは入退院を繰り返した



そんなある日、JJは白樺台と呼ばれる地域のストレートで

ターボ過給圧最大にし全開走行、

ガスケットを吹き飛ばしエンジンブロー

貴重なFJ20ETエンジンをオシャカにし

RSターボを廃車にしてしまった

 

KENICHI KIKUCHI "la mia GT #24"

storia #25 「 バニシング・ポイント 」



ある日曜日の昼間

あまりにも退屈で釧路から少し離れた昆布森と呼ばれる集落の

激しい峠道を一人で攻めに行った。

ヘッドライトの届かない昼間は危険なので

いつもは夜に走る場所だ


何周もして走り込んでいるうちに熱くなり

かなりのオーバースピードでコーナーを攻めはじめた

「ヤバい!」

スカイラインのデカイボディが振り回され

対向車線に飛び出してしまった


白い対向車が視界に入った瞬間

大きな衝撃が走った

クラッシュ

完全に僕の危険行為によるクラッシュだ、。


相手の車を見ると運転席側のフロントからリアまで激しくえぐられていて

車は4ドアのスカイライン、

ベタベタの車高(ノーサス、ラバー抜きってやつだ)

モビルスーツみたいなエアロパーツ、

どこからどう見てもコテコテの族車だ。

車内を見ると頭の2倍はありそうなリーゼントのヤンキーが気絶していた、。

「もっとヤバい!」

まずは人命だ、すぐにガタガタになったドアをこじあけ声をかける

すると青年は我に返ってくれた

怪我の確認をしたが幸い無傷だった


状況を説明し謝罪し、補償を約束した

結局相手の車は全損

僕の車は修理代が50万

修理からあがってもチューニングーカーの為

エンジンが不調になり、原因究明、調整までにひどく時間がかかった


事故が解決し、車も完治した

しかし、この一件は深く考えさせられた

若さ故の暴走とはいえ

他人を傷つけてしまったという事実と向き合った


車に乗ることを辞める決断は出来ない

でも無茶はもうしてはいけない

結局、僕は人に迷惑をかけなければ

それを実際問題として捉える事が出ない愚かなヤツだった

KENICHI KIKUCHI "la mia GT #25"