storia #11 「ロッソ」

 

そのビデオのタイトルは「首都高速トライアル」

フルチューンで走るDR30型のスカイラインRSターボに衝撃を受けた。
車の知らなかった一面を見た。

そりゃそうだ、スピードに興味がないからSOHCのGTSを買ったのだから。

ウエストゲートの開閉する音、排気音、手を入れればどんどん上がる馬力、一瞬でやられた。
GTSに乗り込んで口で言ってたもんね
「プシューン! ピュロロロ、、バコーン! 」

それまでのL型エンジンなどのメカチューンに変わって
ターボ時代の幕開けとともにチューニングカーブームが来るところであった。
ライトチューニングでも車の性能を引きあげられたのだ。

そんな中、釧路にも本格的なチューニングショップがオープンした。
レーシングドライバー土屋圭一さんを迎えた華々しいオープンに出向いた。
けど、どれも自分のGTSに合うパーツが無い。
エキゾースト・マフラーさえ無い。

がっかりしたままハンドルを握って帰った。

その頃には毎月買ってたオートファッションといったカー雑誌に
オプションやカーボーイも買い足して熱心に読んでいた。

ドリフトなる走りを土屋圭一氏の影響を受け
毎日ビデオでその走りを見て研究した。



ある夜、事故に遭ってしまい結局見ることの出来なかった
KPGC10型 スカイラインGT-R を見に行くこととなった。

その所有している人の家は豪邸だった。
当然か。

車庫の中にはなんてことない白のHR30型ポールニューマン・バージョンのスカイライン4ドア
その奥にハコスカが新車当時の姿で眠っていた!

レストアに1000万近くかけていたのであろう、素晴らしいコンディション!



幸運にも運転席に座らせてくれると言う。
そしてエンジンキーを渡され
エンジンをかける儀式を教わる。

エンジンキーを回し電磁ポンプの音に耳を傾け
2、3度アクセルを踏み燃料をキャブに送り
4分の1スロットルを開けて一
気にエンジンキーを回す、

「バグゥオーン!!」

一発で伝説のS20型エンジンが目覚めた!!

完全にやられた

この瞬間に完全にやられたのだ

あれにやられない男はいないかもしれない

僕の身体の中、GT-Rの赤エンブレムのような真っ赤な血液が沸騰していたのが確かにわかった

KENICHI KIKUCHI " la mia Turismo #11"

story #12 「RS」

 

ハコスカGT-R との出逢いは強烈だった。

僕が生まれる数年前のスカイラインである
子供の頃乗ったケンメリスカイライン、
僕は書籍を集め、熱心にスカイラインの歴史を辿った。

何故日本ではスカイラインに思い入れの強い人が多いのか、
何故ポルシェにライバル心を燃やすのか、

1964年の第2回日本グランプリにおいて生沢徹氏が駆るセダンボディのS54B型スカイラインが
たとえ一周だけでもピュアなレーシングカー・ポルシェ・カレラ904を抜き去った記憶。

レースでハコスカGT-Rが高橋国光氏らの活躍により50勝を達成した記憶。

ケンメリGT-Rが排ガス規制により197台生産でレースに出場すること無く幕を下ろした記憶。

熱くさせる歴史の数々にぶちあたった。

ハコスカ、ケンメリ、ジャパン、鉄仮面、セプンス、
モデル毎に愛称が定着するのも面白かった。

途端に今までスタイルに惚れただけで乗っていたGTSへの思い入れが強くなった。
スカイラインに乗っているのを誇らしく思えたからだ。

 

いつもの友が今晩もやって来た

けどシティ・ターボの音がしない。

外へ出てみると銀黒ツートーンのスカイラインRSターボに乗っていた

そしてガッツポーズで僕に「手に入れたこと」を知らせてくれた。

「おおっ!」

早速ハンドルを握らせてもらった。

多少あそびのあるハンドルはずっしり重い
40km以下はスピードメーターがブルブルして安定しない
サスペンションは今まで乗った車にないほど固い。
赤く塗られた4気筒FJ20ETエンジンはドクドクとボンネットで脈打っている。



アクセルを踏み込む、。

ドッカンターボだ! 最高出力を叩き出す 6,400回転手前からの加速は異常だ!
シティ・ターボと違い100kmを超えても加速は衰えることがない!

「怖い、。」

日産の櫻井さんは市販車でなんて車を作ったんだと思った。

高校生のときから良くしてもらった日産営業マンKさんの言葉、
「RSは新車で販売すると一週間でほとんど戻ってきた車だった」と言ってたのを思い出した。

扱えないのだ
だから事故を起こし工場に戻ってくる。

しかし、RSをしばらく乗っているとわかってくる。

乗りこなそうとするよりも
RSを自由に解放してやるんだという感覚。

汗をかく車だ。
運転をするのに汗をかくのだ。
重たいハンドルとクラッチ、ブレーキ、アクセルワーク
そして集中力。

次第に常にタービンが回る音を聴いてる領域、麻薬のような加速の中での運転が出来るようになった。

楽しい!


シートベルトにしめつけられた僕らは大笑いしていた



スカイラインが何故この時代も愛されているのかがわかった


KENICHI KIKUCHI " la mia Turismo #12"

storia #13 「チープ・スリル」

Gran Turismo とイタリア語表記なのでタイトルを今回からチェンジ

車で言えばマイナーチェンジ!

「チープ・スリル」

釧路の出入り口、大楽毛(おたのしけ) と呼ばれる地域(通はダイラッケと呼ぶ)を抜けると
白糠町(しらぬか) へ向かう広大な平地が広がる。

国道38号線からガソリンスタンドの手前を右折すると
その広大な敷地に工業団地が広がり、まっすぐに伸びた舗装道路が碁盤の目のように伸びていた。

誰もいなくなる隔週の土曜の夜ここは賑わった

0-400m(ゼロヨン)会場にはもってこいの場所だった。

どこからともなく得体の知れないマシンが集まった。

自然と同クラスのマシンが列を作りスターターの合図で400mを競った。

「ゴン!」

あまりのパワーにドライブシャフトが折れたS30Z

タイヤの焼きこげるニオイ。

ここにはチープ・スリルに命をかける若者が集まっていた。

ますますスピードと言う魔力に取り憑かれた。

 

僕は釧路から2時間離れた帯広という街に親戚がいたのでよく出かけていた。

時間も余したあるとき、この街の外れにある有名なチューニング・ショップをのぞきにいった。

工場の中ではチューニング雑誌に載るようないかにも速そうな車たちが整備されている

シャシーダイナモの上でパワーチエックしている7Mソアラが轟音をあげていた。

ショップの人といろいろ話しをして盛り上がっていたら

「おっ! ちょうどいい! 無傷のRB20DET(後期型ツインカムターボ) 手に入るよ」
と。

工場の裏には全損と見られるGTSが横たわっていた。
けど奇跡的にフロント、エンジン部分は無傷だった。

これは偶然なのだろうか?

帰り道僕は胸が熱くなった。
エンジン載せ変え。大手術だ。

僕は出してもらった見積もりのお金をどう工面するかしか考えていなかった。

 

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #13"

storia #14 「サティスファクション」


「サティスファクション」


その頃僕は高校を卒業してそのまま就職し真面目に働いていた。

恋をしていたのだ。

その女性(ひと)との暮らしを夢見て少しでも給料の良いところで働いていた。

半年もすぎた頃
学生時代のバイト先喫茶店の店長から連絡が入る。

「KEN、たのむ、戻ってきてくれ」


二つ返事で了解した。

2年と少し続いた恋も終わり、地味な職場にも飽き飽きしていたからだ。

釧路で一番人気があった喫茶店へ戻り正社員になった。

響きは良いけど手取りは12万だったかな。
なんてこたぁないあの頃の僕には十分だった。

しかし十分だったところにエンジン載せ変えの欲望が舞い降りた。

不十分になりそうだ。

けど若い頃の欲望は若い頃に果たすをモットーにしていた僕は強行した。

父親には今載っているエンジンがダメになったと嘘をついた。
けれどそんなのはバレていたろう。

チューニング費用のクレジット用紙の保証人欄に記入してもらうまでに数ヶ月要した。

古い手も使った。
「肩揉み」「家事手伝い」「おつかい」、、、
ただの馬鹿である。

スーサイド・マシーンの切符にサインさせるなんざ
馬鹿息子である。

最大の難関を脱出した。

けど支払うのは自分だ。
手取り12万で11万がほぼ車関係で消えた。

ガソリン代がない。

そのためサンクス(コンビニエンス・ストア)の夜勤をした。

だから週に一、二回一睡も無い日があったんだ。

でもそんなのは学生の頃から慣れている。



ハンドルを握りギアを入れアクセルを踏み込むだけで満足だった

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #14"

storia #15 「rumor」

 

エンジン載せ変え及び、インタークーラー変更、吸排気系変更、
EVC&F-COMでブーストアップなどのパワーアップの為
僕のスカイラインGTSは長期入院することになった。

出された代車はおんぼろの三菱ミニカ。

この間に僕は他の車種にも目を向けてみた。

そのときにつきあっていた彼女は二代目CR-X(1987)に乗っていた。
一緒に選んた車だ。
真似てトミーカイラのデコ・ラインを入れてたので
僕のGTSを小さくした感じで愛嬌があった。
ZC型エンジンもキビキビして好印象。
足回りを見直すと高次元のコーナリング性能を見せた。

そうそうGTSが酔っぱらいに突っ込まれたときの代車が
出たばかりの新車種プリメーラ(1990)だった。
1800ccの廉価グレードだったけれど
マルチリンクサスペンションの出来が良く
あきらかにあの時代の中で突出した性能の一般車だった。
あまりの限界の高さに調子に乗り猛スピードで雪山に突っ込んだ事があったっけ。
あの時良く無傷だったなぁ。

職場の喫茶店の仲間たちも免許取得と同時に車を買った
もっとも良いな! と思った車がミアータ、初代ユーノスロードスター(1989)だ。
シフト・フィーリングがたまらいんだ
何度もコクコクとチェンジしたくなる。
愛らしい900kgの軽量ボディに1600cc(120ps)のエンジンがバランス良く楽しめた。
ロードスターに乗る友達は多かった。
だからか乗る機会も多く思い入れのある車のひとつ。

喫茶店のカウンターでは様々な思いを秘めた若者たちが座っていた。

僕は珈琲を煎れながらたくさんの言葉に耳を傾けた。

夢の話、恋の話、仕事の話、趣味の話、

そしてこの時代車好きたちが一様に興奮して話す噂があった

ある車の復活の噂だった

KENICHI KIKUCHI "la mia Gran Turismo #15"