storia #01 「ボーン・トゥ・ラン」




僕が生まれたのは 1971年

3歳になった僕は

大きな通り沿いにあった祖父の家の二階の窓から外ばかり眺めていた。


「コロナ、チェリー、、カローラ、デボネア、、」

右へ左へ通りすぎてゆく車を眺め

車種名をただ口にしていた。

向かいには出来たばかりのハンバーガー屋があって

たまにねだっては母に「駄目」と言われた。

そうしたらまた二階へ行き

「サニー、セリカ、117クーペ、スカイライン、、」

毎日、毎日くりかえし。

母の弟の "春おじちゃん"は

初代セリカの2ドアハードトップに乗っていた。

初めての「GT」との接触。

その車のスタイルが大好きで、大好きで

乗せてもらうたび気持ちが高揚したのを覚えている。

僕の「あのくるまのなまえはなに?」の連続に

面倒くさがらずにそのたび教えてくれたのも"春おじちゃん"だった。


時は流れ、小学校入学式

はじめての小学校、

はじめて見る友達の顔、

なんだかわからないカチっとした服を着せられ頭には学帽

緊張する瞬間であった。

けど、僕が気になって仕方がなかったのは

小学校までの送り迎えをしてくれた身内の運転する車

白い2ドアクーペ

スカイライン 2000GT だった。




つづく


KENICHI KIKUCHI " la mia Gran Turismo #01"

story #02 「スーパーカー」




小学校入学式の送り迎えで乗せてもらった車は

NISSAN スカイライン ハードトップ2000GT-X

グリルの形状からみて1974年式だ。

僕は物を大切にする子だったので"春おじちゃん"からもらったカタログがある。

ケンとメリーがCMに出演していた、俗にいう「ケンメリ」スカイライン。

残念ながら排ガス規制によってすでに KPGC110型 ケンメリGT-Rの姿は消えていた。

ちなみにケンメリGT-Rのカタログには「ドリフトも自由自在」など、いかした記述まである。

後にスカイラインにハマり歴史を調べて行く中で197台しか作られなかった非運のGT-Rとしてより希少性を感じた。

生まれたときに作られていたスカイライン、ケンイチと言う名前、

今でも一番好きなモデルがケンメリなのはその美しいスタイルだけじゃない理由がそれだ。

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当時世の中はイタリアン・スーパーカーブームのまっただ中

テレビでは「スーパーカークイズ」といったスーパーカー番組が放送され

近所の商店ではスーパーカーの生写真がビニールのアルバムに並べられて売られていた。

子供雑誌にもスーパーカーがいつも大きく載っていた。

スーパーカーカードを集めたり、

スーパーカー消しゴムを集めて友達と飛ばして遊んだ。

ただでさえ車好きの僕は大いに魅了された。

フェラーリ・ベルリネッタボクサー、ディノ、デイトナ、

ランボルギーニ・ミウラ、イオタ、ウラッコ、カウンタック、

ランチア・ストラトス、ラリー、

マセラッティ・ボーラ、メラク、

アルファロメオ・モントリオール、

イタリア車以外も

ポルシェ911、BMW 2002ターボ(子供の目にはこれだけ普通の車に見えた) デ・トマソ・パンテーラ、ロータス・ヨーロッパ、

国産も童夢ゼロがあった。

同世代の人たちの頭の中、スーバーカーの記憶はこの時代に植え付けられた。

高度経済成長のまっただ中、

目まぐるしく流れるスピードの象徴だったのかもしれない

あの時代の流線型のボディ、想像を超えた形状はもう作れない

情熱と可能性の頂点をイタリアの車に見つけていた。


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今回は1975〜1977年頃の話でした

KENICHI KIKUCHI " la mia Gran Turismo #02"

storia #03 「ファザーズ・カー」




その華やかなスーパーカーブームをよそに

我が家では米が尽きることさえある経済事情であった。

流し台の下から古いスパゲティが出てきて塩で食べてしのいだこともある。

けど貧しさは一度も感じたことなかった。

ただ結局銭がらみの両親の喧嘩にはウンザリすることはあったけど。



タクシーの運転手をしているからと言って父親は決してクルマに詳しいわけでもなく

興味もそれほどないように思えた。

僕が「お金がたっぷりあったら何乗りたいの?」と問うと

「リンカーン・コンチネンタル」とは答えてくれたが。


さて一番身近な車、父の乗る車はこうだった

唯一好きだった中古の日産チェリー。

ケンメリのボンネットをぶった切ったようなスタイルがかわいくて好きだったな。

車に付けたハチトラで小林旭の"自動車ショー歌"を聴くのがたまらなくうれしかった。
(決まって「 勉強セドリック〜 」の部分を父は大きな声で僕にむけて歌うのだが)

その次は中古のトヨタカローラ、

それからはスバルの軽 二代目レックス、三代目レックス、初代ヴィヴィオ、初代プレオ、。

せめてスバルならタミヤのラジコンにもなったレオーネにして欲しかった。

ただ、車が変わるたびキーをこそっと借りては車のシートに何時間も座ってた。

新車のにおいをかぎながら届かない足でアクセルをペタペタ踏んでいた 。

そうそう変わった車に乗ってた友達のお父さんがいた。

真っ白のビートル。

カタチよりも水平対向エンジンの脈打つ音に興味を持つ子供は僕だけだったという。

ウチに遊びに来る父の麻雀仲間にも一人だけ変わった車に乗って来る人がいた。

そのおじさんはいつもハンチングをかぶり小粋な感じがした。

フライングレンガ」

ボルボって名の外車と教えてくれた。


ダルマのセリカに乗ってた春おじちゃんは、ワインレッドの初代チェイサー2 ドアハードトップに乗り換えた

けれど僕はチェイサーには惹かれなかった。(その後のクラウンにも当然、。)

ケンメリに乗ってた親戚のおじさんも出たばかりの430(セドリック)へ乗換、

助手席の僕に430の素晴らしさを熱心に語っていたけれど

僕はケンメリの方が100倍いいと答えていた。



振り返るとちょっと他の人より車が好きだったんだなと思う。

じゃないとビニール車庫の中のレックスに何時間もいれないはずだものね。



そろそろカーライセンスを取りに行き来だす高校生の頃まで時間を進めようか



KENICHI KIKUCHI " la mia Gran Turismo #03"

 

storia #04 「GT ロマン」



高校へ進学してしばらくはバス通学をしていた

けれど通学時の混雑、

そして大声で話し合う女子高生徒たちの言葉使いのひどさに耐えられず

少し遠いけれど自転車で通うことにした。

高校手前の親戚の家まで自転車を走らせそこから歩いて通った。

そこまでの道のりで必ずある場所に停まってた車があった。

7th スカイライン 4ドアハードトップ パサージュの後期型。

それまで猛スピードで漕いでいた自転車を止め、眺めてから通り過ぎた。

いつも。

スカイラインと相性が良かったのだろう

後期型になってマシになったとは言えボディサイズが大きくなった

7th スカイラインに惹かれたのだから。


高校時代の記憶はバンド活動とバイトの記憶。

ギターを買うためのバイト

ビリヤード場、ブランズウィックってメーカーのボウリングの機械のメンテナンスやら

とにかく休むことなく毎日稼いだ。

いつも最終時刻のバスで街から帰った。

暴走族全盛期でバス停に立っていることすら怖かったっけ。

改造された430、Y30セドグロやらトヨタ三兄弟やらが爆音をたてていた。

運転者はシンナーを袖に隠し吸い同乗者はハコ乗り

ラリったお姉さんは奇声をあげて目の前をふらつき

うんうん、怖かったな。

それでも毎日稼いでヤマハのギターとフェンダージャパンのギターを手にした。


その次に見つけた喫茶店でのバイト

休憩時間に読んだ漫画週刊誌の「GTロマン」に夢中になった。

魅力的な車がたくさん登場する中

特に作中でマスターの乗る 日産 KPGC10型 スカイライン GT-Rと

アルファロメオ・ジュリア・スプリント GTA、1300GTA にひどく憧れた。





ある晴れた日の学校帰り、友達と学生服のまま高校と自宅の途中にある日産へ寄った。

スカイラインのカタログをもらいに。

ディーラーによっては学生なんかにゃ用はないって態度をとられてしまうが

ここの日産の営業所は違った。

根っからのスポーティーカー好きの営業マン Kさんとの出会い。

気持ちよくカタログをくれ、そして笑顔で話しかけられた。




数年後、彼から BNR32型 スカイラインGT-R を買うことになるとはこのときは思いもしなかったけど。

KENICHI KIKUCHI " la mia Gran Turismo #04"

 

storia #05 「スクールズ・アウト


高校三年生、18歳。
自動車普通免許取得出来る年齢。

相変わらず授業が終わったら高校近くの親戚の家で着替えて
すぐに街へバイト先の喫茶グリーンアップルへ向かう日々。

クラスの仲間と同じように下校時に自動車学校からの迎えのバスに乗って
他校の女子生徒とともに仲良く講習を受けるなんてことは出来なかった。

選択肢は自動車教習所の早朝実地講習のみ
実家から相当距離離れた場所にあるため
朝迎えに来てくれる教習所のマイクロバスの待ち合わせ時刻は朝5時30分。
5分と待ってくれないので寝過ごしたらその日はアウト。

僕の高校生活はこんな風に変わった

5:00 起床
5:30 教習所のマイクロバスに乗る
6:30 教習所着 運転技能講習
7:30 マイクロバスで高校まで
8:30 高校着
9:00 授業スタートと同時に熟睡
12:00 昼目覚めて食後友達とポーカー
13:00 午後の授業スタートと同時に熟睡
16:00 友達に起こされ帰路
17:00 街でバイト
21:20 最終バスで帰る
22:00 帰宅 ギターの練習と作詞とお絵描き
2:00 就寝

この合間にバンド活動に恋にと充実してた。

トップレベルの成績で入学しても最後はビリに近い成績で卒業する
ダメなやつの典型パターンに落ちた


高校生時代 : 真ん中オイラ


肉体的にも無理なスケジュールだったからか免許取得まで大変だった
仮免3回落ち、本試験も4回くらい落ちただろうか
厳しいと有名な教習所だったけれど
4ヶ月も通う頃にはあきらめも浮かんだ。

ときは冬のまっただ中で公安近くの教習所事務所の石炭ストーブを囲む連中は同じ面子。
でもそこから一人また一人と合格するか挫折しては消えていった。

それでも卒業式、就職までには必要な免許そして車。
車、
そう、ついに自分の車を持つことが出来る!

音楽に夢中でも車好きは変わらなかった
下校時に見た スカイラインGTS-R に「うぉー!」と吠えたり
恋人と札幌旅行のときに見たアルファロメオSZザカートのドライバーに交差点で
無理を言って写真を撮らせてもらったり。

そう、ハコスカ GT-R が通り過ぎたエンジン音で
「ふっ、L型か、。」って言うレベルにまで達してた。

忙しい日曜日に無理を言ってバイトを休んだ。

父と母と中古車巡りをするから。


高校で中古車雑誌を回し読みしてたから欲しい車は決めてある。



仮免しか通過していなかったけれど

 

KENICHI KIKUCHI " la mia Gran Turismo #05"